こんにちは~
週末にネットフリックスで『ジョーカー』を観ました。
ホアキン・フェニックスの演技がみたかったので。
おおよその内容は把握していたので、気が重い。
「ジョーカー」ってどんな役の人か知ってたし。
暗い、希望のカケラが無い映画はあまり好きではありません。
暴力的なシーンが苦手です。
一人で観るのが怖くて、夫と観ました。
目を覆うシーンありましたよ。
勿論、演技はピカイチです。
ホアキン・フェニックスは骨が見えるほど痩せて、すごい迫力ありました。
愛がないと、悲しい循環のサイクルしか生まれないね。
ジョーカーのような方のカウンセリングは出来るのだろうか?
とついつい思ってしまいました。
ここまで怒りをため込むと、手に負えない、こわい。
誰も彼を救うことなんて無理に思えてきます。
ちなみに、最初の方でカウンセリングのシーンでてきますが
私とは全く違うスタイルです。
あんなのだったら、私も嫌だな。
ちょっと、コメディ?って思ったくらいがいいかもしれません。
はい、勝手な意見です。
私がバットマンシリーズで大好きなのは『ダークナイト』です。
監督はクリストファー・ノーラン。
ジョーカー役は、今は亡きヒース・レジャー。
バットマンはクリスチャン・ベール。
役者ぞろい、ついつい引き込まれる作り方です。
娯楽感満載です。
こちらは、私好みオススメです。
はい、個人的な映画メモでした。
ボブと「ビックイシュー」
カラダと心を緩めるセラピスト
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前回お話した、『ボブという名の猫』を介してちょっと思い出した話がありますので書きますね。
今年の2月に久しぶりにビックイシューを買いました。
ビックイシューは路上生活をされている方の、
売り上げの一部が収益になる雑誌です。
仙台でも、路上で販売されています。
その場に行くとバックナンバーも沢山並べられどれにしようか迷います。
その中で、ぱっと目を惹くのは映画にもなった『ボブという名の猫』
が表紙のものでした。
販売員のおじさんは「これが一番人気なんだよ」と教えてくれます。
しかもおまけがあるらしいのです。
何だろうと思ったら、アメリカ版ビックイシューのボブの表紙のカラーコピー。
笑顔でこれを付けるからねと。
コンビニでプリントしたら50円、安いところだと30円かな。
ビックイシューは価格350円のうち、180円が販売者の収入。
「おじさん、売り上げ減るやん」とジーンとしました。
そのおじさん、私を対応しているときもずっと笑顔。
普段、わたしにとって350円はコンビニで迷わずスイーツを買う値段。
おじさんに支払った350円はいつもと重みが違いました。
何か大切なものも、いただいたような気がします。
おじさんの優しさに感謝です。
先週、久しぶりに仙台市内に出かけたら
いつものビックイシュー販売の場所に
販売員の方の姿はありませんでした。
コロナで影響を受けているのかな。
気になるところです。
ビックイシューの中味は、興味深い内容が満載です。
機会があれば是非、手に取って購入してみてください。
しつこいですが、猫好き・そうでない方にも
映画『ボブという名の猫』
みんなに観てもらいたい心が温かくなる作品です。
この映画ではボブがすさんだ生活の主人公を立ち直らせる
きっかけを作ります。
2人はある時から一緒。
大切な存在になります。
ボブの気持ちは知りませんが・・・(笑)
私たちの中には、目には見えないけれどちゃんとボブのような存在があります。
わたしたちは、一人のようでいて一人ではありません。
セラピーでは、その存在と対話して自分自身の中にある愛を育んでいきます。
自分に優しい眼差しをおくれるようになります。
セラピストはその伴奏者。
ひとりで悩まれている方がいらっしゃったら、
ぜひセラピーを受けてみてくださいね。
第2弾も楽しみです。
おすすめシネマ『ボブという名の猫』
お気に入り映画 『恋はデジャ・ブ』
こんにちは~
カラダと心を緩めるセラピスト
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今日は私が何度も観てしまう、
お気に入り映画『恋はデジャ・ブ』を紹介いたします。
20代で初めて観てから、字幕・吹き替えと10回位みてます。
この作品は1993年制作のビル・マーレイ主演。
コメディあり、SFあり、哲学仏教を含んだ
魅力ある作品です。
ストーリーは天気予報士のフィル(ビル・マーレイ)が、
ある祭りの日を毎日繰り返すというシンプルなお話です。
毎日、毎日、朝目が覚めると2月2日の同じ日の朝を迎えます。
主人公のフィルは、かなり自己中な人です。
この状況から抜け出せないことを知った彼は最初は好き放題。
他者に対して誠実さもなければ、攻撃的なフィル。
彼が自分自身を否定しているセリフも出てきます。
このタイプは相手を攻撃しながら、自分を防御しています。
自分の気になる女性(リタ)に好きになってもらえるよう
あの手、この手を仕掛けていきます。
彼女の好きな詩集を読んだり、ピアノを演奏したり。
でも、そう簡単にリタの心はつかめません。
彼女に愛されることもなくそれでも繰り返される同じ毎日に、
ノイローゼになり自殺を繰り返すシーンもあります。
でも、死のうと思っても死ねない毎日。
段々とエゴ的なところが剥がれていき、
一日を、人の手助けをして過ごすようになります。
最後は周りの人から愛される人に変化していきます。
自我が剥がれて、最後は他者貢献。
それが、人の自然な姿なのかな~と拝見していました。
ここら辺も興味深いところです。
この設定の「毎日繰り返す日」って、わたしたちも同じだなと思います。
私の生活も同じ時間に起きて、職場に行くまでのルーチンはほぼ決まっていて。
職場についてからも、寝るまで同じ。
映画の設定と大差ないです。
それから私は心理セッションを受けてから、
過ごす場所も接する人たちも同じなのに
今までいた世界が変わったみたいに
生きやすくなるというフィルのような経験をしています。
内面を見つめなおすと、そういう世界が広がります。
この映画でも愛のチカラが変化をもたらすことを教えてくれます。
シンプルなストーリーに秘められた解釈を探しながら
お楽しみいただけたらと思います。
観音さま
こんにちは~
カラダと心を緩めるセラピスト
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本日は、NHKの『ブラタモリ』をみて気づいたことを書きます。
「京都・清水寺~アンコール~」の再放送からのお話です。
想い出のある京都・清水寺の回でしたので録画して拝見しました。
2018年の春分に清水寺は、心理学を共に学んだ
大阪のKさんと一緒に訪れました。
2人で歩いたところが映されると嬉しくなるものですね。
ここへは、高校生の時の修学旅行と2回訪れています。
Kさんと行った時もまだ工事中が続いていて驚きました。
50年がかりの茅葺屋根の修理らしく、
それも年内には終わるようです。
カバーが外された清水寺も参拝してみたいですね。
それでは、清水寺のご本尊「千手観音様」というお話から。
タモリさんと解説員さんのお話では、
「観音様」というのは、音を観る=衆生の声を聞く
=あらゆる人に応えよう・願いを叶えてあげようという意味があるそうです。
「観る音」をそのまま解釈すると心理セッションや
セルフワークにつながるなと思いました。
ワークでは「自身のこころをみる」ということを、
ただ・ただ解釈無しに「観る・眺める」ということをします。
この「観る」という漢字は「よくみる、みきわめる」という意味があるそうです。
こころを紐解く場合は「どんな解釈をしていたか・みて気づく」ということになります。
どんな捉え方をしていて苦しかったのか。
解釈は、その人のイメージで出来事や人をとらえていますので
同じ出来事を体験していても人それぞれの捉え方をしています。
同じ映画を観ても感想や、着眼点が違うのと同じですね。
次に「音」のことは波動とも表現されます。
物質や目に見えないものからもでている波動。
あの場所が何か重ぐるしくて近づきたくないとか、
私たちはちゃんと感じています。
その波動には、周波数があります。
そのものの、波の波長です。
発する言葉からもでています。
「観る音」で「観音様」ということは。
私たちが自分を観察していることは、
観音様の視点になっているんだなと思いました。
観ることは誰もができます。
私たちは波動的にもちゃんと物事を感じています。
そうすると誰もが観音様であり、
尊い存在であるのですね。
波動や観音様に関する専門的な説明があると思います。
詳しくは調べて下さいね。
私なり解釈に過ぎませんが、
観音様を身近に感じられる気づきでした。
今日から私も観音様として、世の中を眺めていきますか。
すぐ、忘れそうです(笑)
お詫び
先日のブログで記載した情報に訂正がありました。
申し訳ございません。
NHKBS「ファーブル昆虫記」の再放送が5月24日と記載しましたが、
2019年の5月24日でした。
番組をみようとされた方がいらっしゃいましたら、
大変失礼いたしました。
私も予約を入れようとしたら、表記がなくて・・・
残念ですが、またの機会を待ちましょう。
ファーブル昆虫記
優しい気持ちにさせてくれる動画の紹介
プラトンさん
こんにちは。
心とカラダをゆるめるセラピスト
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桜舞い散る仙台です。
少し前に、イデアについて書きましたが
プラトンの「イデア論」というのがあったんですね。
知りませんでした。
わかりやすい動画をリンクさせていただきます。
とても参考になります。
投影の話がでてきて、驚きました。
プラトンさんの時代、大昔からあったんですね。
昔の人のほうが、この「無」の感覚とか強かったのかしら。
もうこの時代に、この真理が暴かれていたとは。
時代を超えても変わらないものがここにもありました。
心理セラピストとしても、
心躍る内容ですので是非ご覧ください。
おすすめシネマ『インスタント・ファミリー』
心とカラダをゆるめるセラピスト
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今日は
『インスタント・ファミリー~本当の家族みつけました~』
をみての感想を。
映画のストーリーは
子どもに恵まれなかった夫婦が3人の姉弟を養子として迎え入れ、
本当の親子になるまでの奮闘ぶりを描いた作品です。
この映画の監督さん自身が、里親になり子どもを引き取り育てた経験
を元に制作されたそうです。
あまり期待せずに観てみたら、
コメディタッチの作りでおもしろかったです。
里親になりたい夫婦の背景から、
引き取られる子どもたちの様子。
一緒に住むまで、住んでからの子どもたちと夫婦の
苦悩がユーモアを交えてテンポよく描かれています。
どこまでが本当で、作りこんだのか分かりませんが
家族になっていく様子に笑いあり涙あり。
アメリカのお話ですが、里親の制度がオープンで驚きます。
犬猫と一緒にしてはいけませんが、ノリが保護活動という点では同じで。
日本の犬猫の保護活動と非常に似ています。
その子の写真や性格、年齢などネットでみれたり。
お試し期間?なるものもあるし。
日本のイメージとだいぶ受け止め方が違います。
里親の夫婦が子どもたちを、かわいがっても
実の親と一緒にいたがるシーンは切ないです。
子どもはどんな目にあっても、
お母さんからの愛情を欲しがるものなんですね。
小さな子どもの時ほど、一緒にいる人からの愛情は大切なものです。
親の事情でそれが叶わないとき、
代わりになる人が、それをしてあげられるというのは大事なことです。
主人公の夫婦は思ったことを口に出し、
感情を露わにします。
夫婦の両方の家族も里子の子どもたちを歓迎していました。
血のつながりなどに対するこだわりがなく、
お国柄?家族の意識がとにかく明るい。
一昔前の日本は、長男の家に嫁いだなら男の子を生まないといけない。
長男が家を継ぐとか親の世話をするとかありました。
今でもあるのかもしれません。
時代とともにこの価値観も薄れていくのでしょう。
私も、大分昔そんな思い多少なりともありました。
孫の顔をみせてあげれなくて、申し訳ないとか。
でも、しょうがないんです。
夫の両親には感謝してます。
ご先祖様は大事ですが、お墓を守るとか、
血を残すとかそのような概念はもう大分薄いです。
さて、映画に話を戻して
実際は色々な家族やパターンがあるでしょう。
いいことのほうが少なくて、後悔することもあるのかもしれません。
この映画からは自分たちの希望を叶え、
多くの人と関わりながら共に生きていくことが当たり前で。
深刻にならずにユーモアで乗り越えていく。
愛溢れるものを感じました。
登場する人たちも明るくて、
人間っていいなと思います。
私も子どもを望んだ時期もありましたので、
自分に重ね合わせ、投影しながら観てました。
どんな時も外の出来事に振り回されることなく
自分が感じてることに意識を戻して
ともに成長していけたらいいですね。
エンドロールに流れる家族の写真がいいです。
笑顔サイコー、楽しい映画です。
是非、ご覧ください。
おすすめシネマ『クラウドアトラス』
心とカラダをゆるめるセラピスト
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今日のおすすめシネマはトム・ハンクスさんも出演されている
『クラウドアトラス』です。
詳しい内容はこちらを参考にしてください。
映画.comさん、ありがとうございます。
この映画を観るのは2度目です。172分あります。
6つの物語の過去・現在・未来を交錯するストーリーで複雑なつくりです。
魂の輪廻転生やカルマを思わせる内容でもあります。
何度も見直しては楽しむ映画なのでしょうが、
内容盛りだくさん長いです。
ものすごく割愛して、私が気に入ったシーンのセリフを載せますね。
クローン少女のソンミが死刑される前のセリフです。
ソンミ:
「命は自分のものではない
子宮から墓場まで
人は他者とつながる
過去も現在も
すべての罪が
あらゆる善意が未来をつくるのです」
記録官:
「あなたは演説の中でそれぞれの生き方が
永遠の魂に影響すると説きましたね。
未来を信じているということですか?
天国や地獄も?」
ソンミ:
「私の思うに、死は扉に過ぎません。
閉じた時、次の扉が開く。
私にとって天国とは
新たな扉が開くこと。
その向こうにはきっと彼がいます。
私を待っています」
というやりとりです。
本質的なセリフにジーンとしちゃいます。
ソンミは元々人間を手助けする道具として
誕生させられたクローン人間。
人の姿をしていながらも醜い欲望がなく、
純粋な思考をします。
完全なロボットでない設定がいいですね。
そのクローン少女を未来の人たちは神聖化した存在として
扱います。
人の存在とは、私たちが神という名のものに求めるものとは?
何なのか考えさせられます。
溝口あゆかさんもソンミと同じようなお話をされます。
「生命のおりなすタペストリーは見事です。
個の視点からみるとどんな悲惨なことでも、
全体から眺める(愛や叡智という)視点では次につながっている」
そうなのです。
実際にそのように感じることあります。
自分に起きた嫌だと思えることも後から見たら、
いいことに繋がっていたり。
自然災害も長い目でとらえると、
人の視点からは教訓を生かし今後に活かされていますし。
自然界からみたら人間では捉えられないことが起こっているのでしょう。
ただ生命の起こるままに、現れているだけかもしれませんね。
ただのエネルギーの変化変容とした場合、
そこにいいも悪いもジャッジはありません。
また、前世やカルマを感じさせるシーンもありますが、
私はあってもなくても気にならなくなりました。
どちらにしろ、必要なものしか出てきませんからね。
この場のフィールドには、あらゆる情報が混在しているそうです。
映画のタイトルのように。
きっと今ここを中心に過去・未来も同時に存在しているのです。
同じ場にいても、その人にとって必要な情報を捉えるのだと思います。
みたいもの、聞きたいものを捉える。
映画の中でも、眼をあわせるだけで自分とつながりがある人だと感じたり。
出会える人と仲良くなれたり、嫌いでいたり。
必要な情報や場所に行けたり。
直観や本能がちゃんと働くのでしょうか。
受け取る能力も人にはあるのでしょうね。
それぞれの変化変容が大いなる視点から、垣間見れる映画でした。
愚かな決断だったとしても、それは次につながり
そのエネルギーは循環する。
またその中で、自分の判断で生きていくことの大切さ
を教えてくれています。