こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
UNLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。

最近の記事でも「死」について触れておりますが、
今日も思うことがあり書いておきます。

実は先週の5月7日、患者さんの息子さんが亡くなったという知らせを受けました。
亡くなった方はまだ27歳。
その息子さんも患者さんで、しばらく通院していた時期があり
驚きました。

バイク事故で突然の出来事でした。
家族みんなで接骨院にいらしていたので、
ご家族の気持ちを思うとかける言葉がみつかりません。

心からご冥福をお祈りいたします。


今回のことでも、
死は否応なしに、肉体を強制終了させられるなと思います。
どんなに呼んでも、もう返事はないのです。
お母さんも「息子の遺体を焼きたくない」と話していたそうです。
肉体を残したとしても、もう生き返ることはありません。
生きているものたちは、死んだという事実に合わせるしかないのです。


東日本大震災のときの自然現象もそうでした。
人間の作ったものはいとも簡単にのみ込みこまれ、
多くの方が命を亡くされました。
自然に太刀打ちできないこと思い知らされました。
そこには有無を言わせない、大きな力が働いていました。

突然の死も、病気で亡くなる死も、自然災害の死も
死に変わりはありません。

人が亡くなるということに、自然の中では
いい悪いはないのでしょう。
ただただ大きな力が流れの中で働いているだけなのかもしれません。

寿命まで生きるのがいいと思うのは人間の思いでしかないのでしょう。
自然から死を眺めた場合、命にたいする捉え方は人とは違うと思いつつも
私も、大切な人たちや猫たちとはなるべく長く一緒にいたいです。


正直、よくよく考えると何で身体が自然に動いているのか不思議です。
自分の体さえ、自分の意志で動かして生きてるように思えるけれど、
実のところコントロール不可です。
自分の意志で心臓を止めたりできませんし、
血液が身体を巡る、呼吸をする、トイレに行きたくなるカラダの働き全て
自然におきてます。
植物や虫、魚、あらゆる生命と同じように人も自然の現れ。

自分で自分をコントロールしていない。

「何か」の働きを感じずにいられません。

生きているというより生かされているといった方がよいのか分かりませんが、
何か大いなる存在のチカラが働いているのだと思います。
呼び名は何でもいいです。
きっと呼び名なんてものさえないのです。
人間の頭では捉えられません。


人はこう考えると身をゆだね、
お任せで生きていくしかないのでしょうね。


自分のいる環境や出会いの中で、生きていく。
ご縁の世界というのでしょうか。
がんばる必要がないと言われるのはそういうことなのでしょう。


亡くなった患者さん、自分の意志をもった行動的な
おしゃれなかっこいい方でした。
消えるように亡くなったけど、彼のエネルギーを感じられます。

死は生きてるものには辛く、わからないから不安にもなります。
私の家族は今のところ元気です。
誰かが亡くなったら深く悲しむでしょう。

その時に自分がどうなるのか考えると怖い感じもします。
抵抗せずに、感じたままにありたいです。

自分が家族が元気だからこそ、
死とはどういうもので、生きるとはどういうことなのか知っていたいのです。


いつか訪れるその日まで、日々是好日。
日々を生きていきたい今日この頃です。