どうか(同化)してるぜ

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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今日は私の同化していたエピソード話をひとつ書きます。

先週から私の好きなボディーワーク・
フェルデンクライスが再開され、
終了後メンバー3人でランチをした時の話です。
2か月振りのフェルデンクライスでその良さを、
ものすごく実感できました。

とってもゆっくりで、無理しない。
それなのに(それだから)溶きほどかれ動きがよくなる不思議。

フェルデンクライスを通じても、自分に備わっているチカラに気づかされます。


そんな話をしつつ私、つい他の運動にちょっと批判的な意見を言ったんです。
そしたら他の2人は、他の運動も好きだしするよと。

言われてみれば私もしたりしなかったりしているなと。

どこかで、自分のやっていることが一番なんだと思い込んで話していました。

個人的なレベルや興味、合う合わないがあるしその人にとってどうかなのに。

いかん、いかん。
すっかり自分の考えに同化していました。
正直、それに気が付いたら恥ずかしくなりました。

どうかしていたな~

こんな風にどうでもよいことでも、ついつい自我の主張が強くなり熱くなっていることに気づかされます。

そして、それに気づいたら肩のチカラが抜けるのです。

ホントはどっちでもいいことじゃん。

また一つ、同化を外せました。
日々、こんな感じです。


この同化の話ですが、エックハルト・トールも著書『ニューアース』の中で
「同化を外す」ということが書かれてあります。
自分の思考や体感さえも自分じゃない。
それと同化しない。
それが自我の正体で、本当のわたしではない。

あなたが思い描いていることさえ、イメージ・錯覚なのです。
その錯覚に私たちは囚われているのです。

自我は決して悪者ではありませんが、
この思考に囚われてしまうと本来のナチュラルな自分が消えて
拗ねた自分がでちゃう。

私が
私が
私が

自分の考えは誰しもあるものですが、それさえ距離をおいてみます。
その考えに固執してしまうほど、同化は強く自我も強く出ているはずです。

自分の中の考えなのですが、他人の考えみたいに「(私)こんな風に思ってたんだ~」とみていくのがコツです。
その上で、自分へ思いやりをむけましょう。


先日、エルトン・ジョンの半自伝的映画『ロケット・マン』を観ました。
両親から否定され愛情をもらえなかった彼が、スター街道を走りながらも薬物・飲酒・セックス中毒・買い物依存症に苦しむ姿が描き出されていました。

今はパートナーや子どもに恵まれ子どもの送り迎えのために仕事を減らしたいそうです。

人にとって『愛』のチカラは大きいこと、
この映画を通じても伝わってきます。

同化した思考の中には、癒されていない感情が潜んでいます。

エルトン・ジョンも治療を受けた様子が描かれています。

今、何らかの苦しみを抱えている方がカウンセリング&セラピーに出会い
路頭に迷わずにいられるといいな。


私たちには自分が自分を癒す力・ともに自分を育てていくチカラがあります。


心理セッションにおいても、フェルデンクライスのように心に無理なく
セラピーしながらセルフ・コンパッションを育みたいと改めて思いました。

私も、お力になれたら嬉しいです。







人は感じる受容体

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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お天気の良い日が続き、気分もいいです。

今日も気づいたこと書いておきますね。

セッションやセルフワークを通じて
自分の内側をみるようになってから、
「答えは自分の中にあるんだ」ということに気づかされ

あんなに情報を探し求め、
右往左往したのは何だったのでしょうね。

セッションやセルフワーク・心のしくみを学び深めていくと
次は、
「答えは自分の思考を超えたところにある」んだ
ということが腑に落ちてきました。


ただ、来たのもを受け入れ生きていく。
その時、自分はどう感じているのか。

それに気づくまでが長かったです。

ある意味、もがいてもしょうがないんですね。
これが、抵抗を止めて降参した状態になるのです。

近くにあって気づかない。
この人間のシステムってすごいです。

後はなるようにしかならないんだなと思えるようになりつつあります。

人は出来事を受け入れ、感じる受容体でもあるんだと思っています。

でも、その一方で自分のしたいことをする発信機でもあります。

感情との付き合い方がわかると、
「今」に落ち着けるようになります。

そして段々と自分の意思が見えて行動できる、
そのようになっているのでしょう。


ほぼ日刊イトイ新聞のTwitterで
心に留めておきたい記事がありましたので、
ご紹介させていただきます。

『星空の谷川俊太郎質問箱』
(著:谷川俊太郎 / 出版社:ほぼ日刊)


質問:人は、何をしに生まれてくるのですか。

谷川さんの答:人は何かをしに生まれてくるのわけではありません。
生きてるのが楽しくて
幸せだと思えるように生きる、
そのために生まれて、生きているんです。


引用ここまで。
ありがとうございます。

本当に共感できます。

私は自分の使命を全うすることに憧れた時期もありました。
でもその前にただ「生きるとはどういうことなのか」と思った時、
外の出来事に反応している自分の内側をみる世界に気づかされ
おもしろく感じるようになりました。

いま実際に起きた出来事だけでなく、過去にあった出来事にも
いつまでも反応してしまう自分。
未来の自分にさえも怖がったイメージをして反応してしまうのです。
それは今の自分が怖れを抱いているから。
それを見てあげない限りは一緒です。



理屈がわかっても、いまだに
あたまの声にびびってしまう私がいますがそんな自分とも
共にありたいと思います。


生きることに心をみることもお忘れなく。

それには、コツがあります。
分からない方、ぜひセッションで体感してみてください。
オススメです。

 

人は皆、姿形が違うように

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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先日ご紹介した「マドモアゼル・愛先生」が

「人は皆、姿形が違うように考え方も違うのだ。
神様は見た目で違いがわかるように人をお創りになったのだから
考えも違って当然だよ」
とお話されておりました。


当たり前すぎて忘れてしまいます。
可笑しくなりました。

同じわけがないんですよね。

愛先生いつも素敵なお話ありがとうございます。
機会があれば、ぜひご覧ください。


それで、
相手と考えが違うことは分かった。

「相手のことは変えられない、自分のことを変えよう」といいますが、
自分のことさえ変えるのって無理じゃない?と。

正確には、自分の【思考】を変えるというよりは、
実は思考に気づくことなんです。

心理学、学んでわかったことです。

よくよく思考を観察していくと、自分を変るのではなく
思考に気づく。


身体の使い方で例えると、
①肩が凝ることに気づく。
②姿勢はどうなっている?歪んでいることに気づく。
③日常的に癖のある使い方をしていたことに気づく。
④別の習慣を意識していく。

この一連の思考が、【変わる】と表現されているのかもしれませんが、
正確には気づくの連続。
気づくことで、自ずと変化していきます。

何か嫌なことがあって
①相手と自分は違う考えをもっていると気づく
②自分がどんな気持ちをもっているかに気づく

日常はそれの繰り返し。
どうしても「こうしなきゃ」と思考が次に走り出すのですが
お~い
行き過ぎだよ~もうその辺で止めといていいよ~
ジャジは不要。

思考を眺めることから、自分を知るが始まります。

そうすると、同じパターンの日常が
変わってみえだします。

相手や他に向けてたエネルギーが、
自分に向いて忙しくなります。

これが日常の心のトレーニング(笑)

そんな世界がありますので、
意識を内側に向けて気づいてください。

知ってるようで気づかなかった自分と出会えて、
おもしろいです。

私も忘れるんですけどね。


それが自分とつながる最初のステップです。

これを知りたい、この感覚をわかりたいでもわからない
という方は声を掛けてください。




 

 

 

 

自分と分かち合えればいい

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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ここ数日肌寒い日が続いております。


今日は過去にあった自分自身の体験を述べてみたいと思います。


一年くらい前の話になります。
その当時、ある方の発言が気にさわって頭にきていた時期がありました。

長いストーリーは割愛しますね。

ある日爆発して、夫にその方の愚痴を言いました。
頭ではその人に対する投影があると
わかっているのですが気がすみません。

夫はわたしにとって、何でも話せるよき理解者。

慰めてくれると思いきや、その話をした時
夫はその方に理解を示したのです。

私の味方じゃないの?と正直思いました。
(もうここで、敵か味方かという視点です)

いや、もっと正直に言えば私が理不尽なこと言ってても、
私の味方をしてほしかった。

私の味方じゃなかったんだ・・・
とても悲しくて、同時に夫にも腹が立ちました。
「何でわかってくれないの?」と。


悲劇のヒロインです(笑)
その時は一方的に私が泣きわめき
夫は迷惑だったはず・・・

夫は相手がどんな人であろうと、
関係なく自分の視点から意見を述べたまでなのです。

それだから頼りになる人です。

その時ヒロインは
どんなに愛してくれる人でも自分の気持ちとは
同じにはならないんだと思いました。
勝手に裏切られた感がでてきます。

では、私自身は自分の気持ちをわかってあげているのだろうか?

答えはNO。

残念なことに自分の味方が欲しいほど弱気です。
そうだよねと誰かに言って欲しがっていたのです。

あなたは間違っていない、相手は勝手だよとでも言ってほしかったのです。

久しぶりに感情が大荒れした後、
自分の気持ちを見つめてみました。



①夫に味方になってもらえなくて悲しかった。
⇒夫であっても意見は別

②自分が自分の気持ちを一番わかってあげればいい。
⇒誰かに頼っていた

③不満があれば相手に直接話してみる。
⇒言えない自分をワークする

ということがわかりました。

正しい間違っているのは置いておき。
自分の気持ちを自分で受け止める。

そこから、前に進むのです。


どんなことがあっても
自分が自分の気持ちを一番理解してあげなきゃと思いました。

そんなことに気がついた出来事でした。

このようにセッションやワークをしていても
日常には投影満載、観念満載の私が潜んでいます。
それは私の心を育んでいる大切な時間です。


許せなかったあの人も、夫もただの登場人物です。
ご出演ありがとうございました。(笑)



セッションでは、その方にあった個別の対応をしていきます。
身体で日常動作の癖が歪みをつくるように、
心にも複雑に絡み合った癖があります。

ご自身の内側に興味ある方、お声がけ下さい。

自分と上手に付き合えるようお手伝いさせていただきます。





内側で起きていることに抵抗しない

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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今朝配信されていた小出遥子さんの動画をみての感想です。
ぜひYouTubeで検索してご覧ください。
とても分かりやすく説明されています。
いつもありがとうございます。

小出さんは動画の中で、「内側で起きている思いや感情に抵抗しないで」とお話されています。
そのおとりですね。



普段私たちは、自分の外で起きていること(見た、聞いたなど)それをあたかも事実のように心の中で解釈が走ります。
それが思考の働きなのですが。
外で起きた出来事は「ただ起きただけ」なのです。
これ、すごく冷たい言い方になるんですが。

そのベクトルを自分の内側に向けてその時
「自分はそれをどう感じたのか」みてください。
昨日の記事に書いた観音様になるのです。

道徳的に観音様になることではありません。
観音様の視点で自分の内側をみるということです。

外で起きたことは変えられません。
自然現象です。

一方心の中でも自分の心象風景が描かれています。

反応するということは、何かしらのデーターが自分の中にあるので
みてあげるといいです。

未完了の思いは、たいてい繰り返し出てきます。

未完了の思いを抱えた小さな私と、
大人の私がお話してみてください。

小出さんが紹介されている通り、
「ホ・オポノポノ」で声掛けするのもいいですね。

やり方は、自分に合ったもので大丈夫です。

過去の小さな私、はたまたファミリー的な思い、
集合意識まで色々な思いや感情が出てくるかもしれません。

味わいたくない感覚かもしれませんが、
思いや感情にいいも悪いもないのでご安心ください。

自分自身を知ることにつながります。

やってみて、苦しくなったり辛くなる方は無理せず
ぜひ、声をかけてくださいね。

最初は言葉だけでは、わかりにくいと思いますので。

観音さま

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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本日は、NHKの『ブラタモリ』をみて気づいたことを書きます。
「京都・清水寺~アンコール~」の再放送からのお話です。

想い出のある京都・清水寺の回でしたので録画して拝見しました。

2018年の春分に清水寺は、心理学を共に学んだ
大阪のKさんと一緒に訪れました。

2人で歩いたところが映されると嬉しくなるものですね。
ここへは、高校生の時の修学旅行と2回訪れています。
Kさんと行った時もまだ工事中が続いていて驚きました。
50年がかりの茅葺屋根の修理らしく、
それも年内には終わるようです。
カバーが外された清水寺も参拝してみたいですね。

それでは、清水寺のご本尊「千手観音様」というお話から。

タモリさんと解説員さんのお話では、
「観音様」というのは、音を観る=衆生の声を聞く
=あらゆる人に応えよう・願いを叶えてあげようという意味があるそうです。

「観る音」をそのまま解釈すると心理セッションや
セルフワークにつながるなと思いました。
ワークでは「自身のこころをみる」ということを、
ただ・ただ解釈無しに「観る・眺める」ということをします。

この「観る」という漢字は「よくみる、みきわめる」という意味があるそうです。
こころを紐解く場合は「どんな解釈をしていたか・みて気づく」ということになります。
どんな捉え方をしていて苦しかったのか。
解釈は、その人のイメージで出来事や人をとらえていますので
同じ出来事を体験していても人それぞれの捉え方をしています。

同じ映画を観ても感想や、着眼点が違うのと同じですね。


次に「音」のことは波動とも表現されます。

物質や目に見えないものからもでている波動。
あの場所が何か重ぐるしくて近づきたくないとか、
私たちはちゃんと感じています。

その波動には、周波数があります。
そのものの、波の波長です。
発する言葉からもでています。

「観る音」で「観音様」ということは。
私たちが自分を観察していることは、
観音様の視点になっているんだなと思いました。
観ることは誰もができます。
私たちは波動的にもちゃんと物事を感じています。

そうすると誰もが観音様であり、
尊い存在であるのですね。

波動や観音様に関する専門的な説明があると思います。
詳しくは調べて下さいね。

私なり解釈に過ぎませんが、
観音様を身近に感じられる気づきでした。


今日から私も観音様として、世の中を眺めていきますか。

すぐ、忘れそうです(笑)


お詫び
先日のブログで記載した情報に訂正がありました。
申し訳ございません。

NHKBS「ファーブル昆虫記」の再放送が5月24日と記載しましたが、
2019年の5月24日でした。
番組をみようとされた方がいらっしゃいましたら、
大変失礼いたしました。

私も予約を入れようとしたら、表記がなくて・・・

残念ですが、またの機会を待ちましょう。

 



 

自分の成長のために

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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今日は、「相手のためにすることは、自分の成長のためにしているんだ」ということを忘れないよう書いておきます。

私の大好きな「マドモアゼル・愛」先生が動画の中でお話されていた内容です。

愛先生、いつも新しい気づきをありがとうございます。


その愛先生が、尊敬している心理学の先生と一緒にラジオ番組で
お仕事されたときに

「あなた相手を助けようとして言っちゃダメだよ。
相手のためと思ってやったらあなたは怒り出すよ」と
言われたそうです。
愛先生は、はっとしたそうです。

相手を思いやる気持ちは、人としてとても大切だけど
相手を根本的に変えることはできない。
きっかけ作り程度だと。
親身になればなるほど、その通りにしない相手を責めるようになると。

私も耳が痛い話です。
相手によかれと思いながらも、自分のためにやってたことに気づきます。

自我はいつでも自分が一番かわいいですからね。

先生いわく、相手に期待せず『自分の成長のためにすること』だそうです。

本当にそうです。
自分のためと思えば肚はたちません。
自分が行うこと全て仕事も、家事も、本当は全部自分のためですものね。


ついつい、ついつい
心のどこかで認められたいがあるんです。
これも何度もセッションで出てきたな~
だいぶ薄まりましたが。

私の母もどちらかというと「あなたのために」のタイプでした。
もちろん、全部が全部そういうわけではありません。
時と場合によります。
子どもなりに、言葉の端々にそう感じて嫌でした。
恩着せがましく、押し付けられてる感じが伝わるのですね。
だから、私も受け継ぎました。(笑)

愛先生はそのような思いで子育てすると、
どこかで罪の意識を持った大人になるそうです。

きっと私の母も、そんな風に育てられてきたのです。
母の周りの人たちもそうだったのでしょう。
母は悪くありません。
わたしもね。
嫌だと思ったことはもう引き継ぎたくないですよね。
気づいたものから終了させましょう。


困っている人を助けるのは道徳的にもいいことです。
そうあるべきと教えられます。
日本人なら特にそれは色濃く集合意識にあるような気がします。

それもどこかで自分を我慢させ犠牲にしていたり
相手を自分の思い通りにさせようとコントロール欲が働いていたりします。
よかれと思ってしたことが、相手は違う反応をしてがっかりしてしまうのは
自分の考えの押し付けや、相手への期待があるからなのです。


もちろん、時と場合、人にもよります。
でも、多くの人は困っているように話すけどアドバイスなど求めていません。
自分の気持ちを満足させたいのが大きいようです。
それは自分の潜在意識で感じていることに気が付いていないだけなのです。
気づいた人から、手放しましょう。

最後に、
「自分の成長のためにしている」と思考をチェンジさせることは大切です。

でも、何度も腹立つわ~が現れるようなら
癒されていない思いがあるのかもしれません。
そこをみてあげることは、とても大切です。

私もまだまだ、自分にやさしくしますね。





ファーブル昆虫記

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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今日は先日NHKBSで再放送されていた
『ファーブル昆虫記~南仏・愛しき小宇宙~(2)』を観て感じたこと書きます。

ジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)さんと言えば「ファーブル昆虫記」誰もが知っていますね。

私は虫は、あまり得意ではありませんがこの番組から
素晴らしい虫たちの神秘の世界を教えてもらいました。

100年も前の方ですが当時の限られた資材で昆虫の観察・実験を行い、その後の動物行動学にもつながる記録を残されました。
虫の観察は暑さの中、長時間忍耐と苦労が必要な大変な作業だったでようです。
でも、それ以上に虫の世界の神秘的な魅力がファーブルさんの心を離さなかったのでしょう。
ファーブルさんは当時新種の発見に人気があった「昆虫学」よりも、
虫たちの生活を観察する方が好きなフィールドワーカーだったそうです。

生きてる間は貧困に苦労し、
亡くなってからその素晴らしさが世界中に広まったそうです。

本当にありがたいことです。


この番組内で紹介されていた虫「カリバチ」の世界では、
獲物のクモを生きたまま麻酔をかけた状態で巣まで運び、
食料になるクモに産卵します。
幼虫が成長するまで生命維持の離れた部位から食べていくそうです。
誰に教えられたわけでもないのに、びっくりするほど能力が高くすごい技術です。
それが本能で備わっていて次の子孫を残して繰り返されるのです。

え~
これ誰が仕組んだの?
神様?なのでしょうか。
とにかくすごい本能。


他に紹介された蛾は、毛がフワフワでその部分は
とてもきれいに見えました。
タイトルどうり虫たちへの愛しさを感じます。


番組の中で登場する、研究家や写真家の皆様が楽しそうに話されるのも印象的です。

ファーブルさんを始め皆さんのお蔭で、ミクロな世界の小宇宙を知ることができました。



セラピスト視点からこの番組で共通することは、
心の観察をしていくときも、ただ思考や感情に同化することなく
眺めていくことです。

私たちが苦しくなるのはジャジしたときだから。

ただただ、眺めてください。

虫の動きが、現れてくる思いや感情。
ファーブルさんの視点が観察者です。

彼が虫の観察を解釈無しでしたように。
事実だけをひろって観てください。
その上で、自分がどんな解釈をしていたか気づいてみてください。

ファーブルさんの実験の部分を当てはめるとしたら、
観察して自分のパターンに気づいたなら次は・・・
自分や他の人と心地よく過ごす工夫にあてたらいいのかなと思います。

明るい声であいさつするとか。
何か特別なことでなく、
自分が機嫌よくいられることに意識をほんのちょっと向けてみることから始めてみてはどうでしょう。


最後に。
小さな虫たちにも、ちゃんと本能が組み込まれて生きているということ。
本能+考えているようにみえるくらいの動きをしていました。

 

虫たちもまた他の生き物と関わり合いながら、植物連鎖や子孫を残し循環して自然界を生きていました。

何も心配しなくても、自然の営みがそこにもあります。


昨日の記事にも書きましたが、自然の営みは私たちの中にもあります。



人間も虫たちや他の生き物のように、身をゆだねて過ごしていいんではないのでしょうか。

お任せで、与えられた世界で精いっぱい生きる。

人間には思考の働きがあり、理性もありますので
本能のままに生きるという単純にはいかないかもしれませんが。

またそこも、複雑に絡み合った人間のおもしろさです。
生理的な機能と思考する機能。

自己観察ぜひおすすめです。



こういう番組大好きです。
『香川照之の昆虫すごいぜ!』の番組でも昆虫たちの素晴しさを
おもしろおかしく教えてくれます。
NHKさん、ありがとうございます。

再放送5月24日にありますので、良かったらご覧くださいね。


それから、
自分の事って本当に同化しすぎてわからないので、
コツをつかむまでの感覚を知りたい方はセッションをオススメします。

ぜひ、体感を通じて感覚でつかんでみてください。

只今、オンラインでお待ちしております。
お気軽に声をかけてください。


日々是好日

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
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最近の記事でも「死」について触れておりますが、
今日も思うことがあり書いておきます。

実は先週の5月7日、患者さんの息子さんが亡くなったという知らせを受けました。
亡くなった方はまだ27歳。
その息子さんも患者さんで、しばらく通院していた時期があり
驚きました。

バイク事故で突然の出来事でした。
家族みんなで接骨院にいらしていたので、
ご家族の気持ちを思うとかける言葉がみつかりません。

心からご冥福をお祈りいたします。


今回のことでも、
死は否応なしに、肉体を強制終了させられるなと思います。
どんなに呼んでも、もう返事はないのです。
お母さんも「息子の遺体を焼きたくない」と話していたそうです。
肉体を残したとしても、もう生き返ることはありません。
生きているものたちは、死んだという事実に合わせるしかないのです。


東日本大震災のときの自然現象もそうでした。
人間の作ったものはいとも簡単にのみ込みこまれ、
多くの方が命を亡くされました。
自然に太刀打ちできないこと思い知らされました。
そこには有無を言わせない、大きな力が働いていました。

突然の死も、病気で亡くなる死も、自然災害の死も
死に変わりはありません。

人が亡くなるということに、自然の中では
いい悪いはないのでしょう。
ただただ大きな力が流れの中で働いているだけなのかもしれません。

寿命まで生きるのがいいと思うのは人間の思いでしかないのでしょう。
自然から死を眺めた場合、命にたいする捉え方は人とは違うと思いつつも
私も、大切な人たちや猫たちとはなるべく長く一緒にいたいです。


正直、よくよく考えると何で身体が自然に動いているのか不思議です。
自分の体さえ、自分の意志で動かして生きてるように思えるけれど、
実のところコントロール不可です。
自分の意志で心臓を止めたりできませんし、
血液が身体を巡る、呼吸をする、トイレに行きたくなるカラダの働き全て
自然におきてます。
植物や虫、魚、あらゆる生命と同じように人も自然の現れ。

自分で自分をコントロールしていない。

「何か」の働きを感じずにいられません。

生きているというより生かされているといった方がよいのか分かりませんが、
何か大いなる存在のチカラが働いているのだと思います。
呼び名は何でもいいです。
きっと呼び名なんてものさえないのです。
人間の頭では捉えられません。


人はこう考えると身をゆだね、
お任せで生きていくしかないのでしょうね。


自分のいる環境や出会いの中で、生きていく。
ご縁の世界というのでしょうか。
がんばる必要がないと言われるのはそういうことなのでしょう。


亡くなった患者さん、自分の意志をもった行動的な
おしゃれなかっこいい方でした。
消えるように亡くなったけど、彼のエネルギーを感じられます。

死は生きてるものには辛く、わからないから不安にもなります。
私の家族は今のところ元気です。
誰かが亡くなったら深く悲しむでしょう。

その時に自分がどうなるのか考えると怖い感じもします。
抵抗せずに、感じたままにありたいです。

自分が家族が元気だからこそ、
死とはどういうもので、生きるとはどういうことなのか知っていたいのです。


いつか訪れるその日まで、日々是好日。
日々を生きていきたい今日この頃です。

 

プラトンさん

こんにちは。

心とカラダをゆるめるセラピスト
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桜舞い散る仙台です。

少し前に、イデアについて書きましたが
プラトンの「イデア論」というのがあったんですね。
知りませんでした。

わかりやすい動画をリンクさせていただきます。

とても参考になります。

投影の話がでてきて、驚きました。
プラトンさんの時代、大昔からあったんですね。
昔の人のほうが、この「無」の感覚とか強かったのかしら。
もうこの時代に、この真理が暴かれていたとは。
時代を超えても変わらないものがここにもありました。


心理セラピストとしても、
心躍る内容ですので是非ご覧ください。