愛のカタチ

こんにちは~

いつも、ブログを読んでいただきありがとうございます。

唐突ですがみなさんは、どんな愛のカタチをご存じですか?
きっと一つじゃなく沢山あると思います。

今日は「愛のカタチ」について私の好きな
作品をご紹介させていただきます。

「アイノカタチ」といえばMISIAさん。

私この曲、大好きです。
「愛にカタチ」なんてみえないところを素敵に表現された歌で。

パートナーとの愛のカタチが想像しやすいのですが、
歌詞の中で「愛してる」って言いたいところを、
「大好きだよ」って歌ってしまうところが特に好きです。
日本人の私は「愛してる」のセリフは、いい慣れていません。
照れながらも最高級の伝え方だな~と思って聴いております。

MISIAさん、いつも素敵な歌声をありがとう。

 


それから、もう一つ「愛」を上手く表現された作品があります。
漫画に詳しい夫から教えてもらいました。

「愛」は男女をはじめとして様々なカタチがありますが、
この、漫画家「鏡ハルカ」さんの想像力と表現力すごいです。
画力も素晴らしく、ストーリーに心打たれました。
一人で全部創り上げたのでしょうか。

漫画家さんってすごいです。
クリックしてご覧ください。

アフタヌーン四季賞2020秋準入賞『手指の鬼』

しっとりと涙する作品です。
もはや文学です。
切なくなりました。
ぜひ、ぜひ目を通してください。

鏡ハルカさんの、今後の作品も楽しみです。


生きていると色んな愛があることを知ります。
ハッピーなことはわかりやすいのですが、
悲しみや苦しみの中にも、必ず愛が潜んでいます。

それに、気づけるわたしでいたいななんて思います。




 

比較する心

こんにちは~

本日は仙台、強風が吹き荒れております。

部屋の中にいても、日差しは暖かいものの風でサッシが揺れたり
ビニール袋がガサガサ激しく音をたてます。
建物の中にいる人と、外にいる人では感じ方に雲泥の差がありそうです。

 

今日は「比較する心」について書いてみます。

これ、誰にでもありますよね。
物を買う時も、人によって基準があり「よりいい方」を選びます。

自分と他人を比較するということもあります。
能力や才能、美貌などなど。

現在の自分 vs 過去の自分だったり。

比較することでメリット・デメリット大いにあります。
デメリットにフォーカスしているときは苦しみを伴いがちですね。
自分の中の「ない」に目が行き、私はダメ人間だとがっかりしてしまいます。

私のなかにもこのパターンが繰り返され、いつからだろうと振り返ってみると
子どもの頃から。

私には年子の姉がいます。
最近、姉の誕生日を祝ったばかり。
13カ月しか離れていません。

姉が1歳3か月のまだ小さい時、私が生まれたのです。
母は年子の娘たちの育児に大変だったろうなと想像がつきます。
1歳3か月って、歩きだし、言葉を話し始めようとしているころ。
そこに赤ちゃん。
姉だって母に甘えたかっただろうし、
生まれた私は私で甘えたかったと思います。
お母さんは大人気ですね。

私の両方のおじいちゃん・おばあちゃんはすでに亡くなっていたので
母は近くに頼る親もいませんでした。
多分、周りのご家庭もそんなのが当たり前だったと思います。

で、話を戻しますと。
姉は小さなころから私の先輩で、ライバルだった気がします。
今はそんな風には思わないし、幼少の頃の記憶もそんなにありませんが
いつも姉をお手本に真似して日々を過ごしてきたんだと思います。

姉が怒られれば、怒られないよう学習したり。
姉が褒められれば、嫉妬していたと思います。
いつも姉を基準にしていました。

姉が保育園に通いだせば、自分も行きたがり
姉の友達のうちに一緒に行ったりもしたし、
親戚の人が集まれば一緒に並んで歌わされたり。

姉がいたから、お姉ちゃんのようになりたくて、
時にはお姉ちゃんみたいになってはいけない(怒られないよう)
などと育ってきたのです。
姉を通じて、妹は色々学習しました。

比較って一見悪いことのように、捉えてきたけれど
心のこと学ぶようになって最近は
そのお陰で自分の成長があるんだなと思えます。

別な言葉で言い換えれば、その人みたいになりたいは
「憧れ」です。

こんな風になりたいな~は、
そのエッセンスをとりいれた自分はどんなだろう?みたいな
前向きな気持ちなんですよね。

捉え方次第で、世界は広がるものです。

でも比較に苦しむ気持ちがでてくることも、
それはそれでいいと思います。

そんな風に出来なくて、悲しい・悔しい。
そして本当はこうしたかったというエネルギー。

その思いをちゃんと感じて味わったなら別の一面があることも
ちゃんと味わいたいと思います。

その悲しさや、悔しさ、情けなさの中に希望の光があることを
忘れてはならないなと気づくこの頃です。
セッションでも、比較の中にあるざまざまな気持ちを
一緒にみていきたいなと思います。



私の大好きなCMがあります。
ちょっとご覧ください。

姉は美容師です。
私の髪をカットしてくれます。
クラフトペーパー作りが上手で、姉が作ったバックを持ち歩いていると
高確率で褒められます。
器用で、私とはまた違った性格の姉。
小さいころ沢山、喧嘩したけどお姉ちゃんの妹で良かったです。
いつもありがとう。


JT CM「想いうた」

 

心理セラピスト 私の学び


こんにちは~

本日は晴れ渡る空、肌寒い仙台です。
寒い中、太陽がでているのはありがたいです。
日本海は雪の影響が心配ですね、
どうか無事にやり過ごせますように。

成人の皆様もおめでとうございます。
仙台でも昨日、振袖姿の娘さんたちの嬉しそうな姿を拝見しました。
若者、いいな~
私にもそんな時があり
あの頃からいろんなことがあって
今、こんな風にセラピストとして活動するなんて想像してた?
なんて思いました。


今日はふだん私が心理セラピストとして、
どんなことを学んでいるのか書き留めておきます。


去年は全国から心理セラピストを目指す仲間が集まり、
「ブリッジングイヤーコース」にて学びを深めました。
オンラインで学びます。
講師は香川県・高松在住の心理セラピスト 澤田 准さんです。

心理セラピストにとって必要なことを
このコースで一年間学びます。
全コース17回。
残すところ、来月が最終となります。

月に1~2回。土曜の午後から開催され
私は13時まで仕事をして参加してきました。

職場の皆さん、ご協力ありがとうございます。


先輩心理セラピストでもある准さんは、自分自身が学んでいること、
実践で経験してきたことを踏まえ惜しみなく仲間に教えてくださいます。

その情報量が半端ないので、
頭がパンクしそうになる時も。

自分はどんなセラピストを目指していくのかから始まり、
技術的なこと、学術的なことから症例をあげて学びます。

項目を上げるとリソース構築、トラウマからの回復、
愛着スタイル、ポリべーガル理論(神経系へのアプローチ)、
境界線、投影、内的家族療法、痛みへのアプローチ、
調整ワーク(身体へのアプローチ)
最終の来月は不安症、パニックへのアプローチです。
些細なことも質問しながら、学べるので助かります。


内的家族療法の新しいアプローチを学べたことは
効果的なツールが増えてセラピーの幅が広がりました。


私は、痛みなどの身体へのアプローチに興味があったので
実際にどうやって進めたらよいのかがわかり
とても勉強になりました。

調整ワークなどの神経系に対するアプローチができるように
なったことは大きな収穫の一つです。
クライエントさんにとっては「癒された~」とか大きな気づきも
反応も少ないかもしれません。
むしろ地味です。
ですが、体感で大丈夫感が強くなっていくので今ここのself(本質のわたし)
とつながりやすくなります。
もちろん思考もおちついてきます。
非常に大切なことです。

体の施術もそうですが、心理的なことも負荷のかけ過ぎは
場合によっては反動が怖いです。
経験が浅いと、そこの判断が難しいのです。

安心安全に、セッションを進めていけることは、
selfの状態でいいセッションにつながるということです。

ここで学んだことは
「すぐにやってみたい・次こうしてみよう・こうしてみたい」が
湧き上がってきます。


私自身が、受けているセッションにおいても、
セラピストさんが何を探しているのか
理解が深まり癒しの手助けにもなってます。

このことは、クライエントさんに起きてることにも
あてはめやすいです。


その気づきの一つとして、
クライアントさんを理解できるようになってきたこと。
「その方の背景にある、みえないことを受け入れられる」
言い換えれば、他者理解が深まりました。

それゆえ、日常生活で腹が立つが減ってきています。
減ってきただけですが・・・


また悩みというと、どうしてもネガティブなことにフォーカスしていきますが
そのなかのポジティブなところにもフォーカスしていくのも
また新たなセッションだなと個人的には感じています。

楽しい方がいいですものね。

クライエントさんに都度あわせた、セッションが出来るよう
学んでいます。

他に、心のしくみの講座が出来るようになったことも
嬉しいこと。

色々な面で少しづつ、自信がついてきています。

このような感じで、ブラッシュアップしながら
日々新しいことを取り入れております。

この心の学びは、誰かのためというよりは
わたし自身のため。
もう、ライフワークです。
クライエントさんにも、そんな風にセッションを
利用していただきたいですね。

引き続き3月からアドバンスクラスもあり、
准さんの明るく、大きな包み込む愛に満ちたエネルギーの中
仲間と、ともに楽しく学んでいきます。


お困りの方、辛い思いに苦しんでいる方
経験者がお手伝いいたします。
ご興味ある方、どうぞよろしくお願いいたします。



 

 




 

 




 

 

湧き上がる思い

皆さま

明けましておめでとうございます。

ご挨拶が遅くなりましたが、

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

全国的に寒い日が続いておりますね。

仙台も寒いです。

今朝はマイナス8度。
久しぶりの冬らしい冬を体感しております。

 

今日の話題は「湧き上がる思い」について。

私の好きな作家の山元加津子さん、
通称かっこちゃんが動画で心に響く話をしておりました。
(メルマガにリンクされていた動画です)

お時間あるかたは、ぜひご覧ください。

https://rerise-news.com/education/katsuko_yamamoto/




この動画(Re・rise News)の中で、
私が特に気に入ったところを抜粋させていただきました。
23:59分辺りから


かっこちゃんは
『虫や動物たちは誰からも習わないのに巣を作ったり、
餌をとったりするのを見たときに虫や動物はきっと
湧き上がるようにしたいことをしているんだなぁと思うようになった。
蝶が蜜を吸う、蜂が花粉をとると花が受粉をして実がなる。
そして今度はその実を動物が食べる。

~中略~

天が湧き上がる思いをその人に与えて、その人も楽しいし、
でもきっとそれが誰かの役にもなっている仕組みが
この世の中にあるんだなと考えるようになっていったんですね。

それからは「何をしていいかわからない」という人にも
「大丈夫、天はちゃんとその人に必要なもの出会いとか、
モノやコトや人を用意してくれているから」
だから、ちゃんと心の目と耳を澄ましてたら
すごくしたいことができて自分のためだけじゃなくて、
他のみんなのためになっていく。
それが蝶が蜜を吸うことや巣を作ることと同じだと思う。
そう話してきたし、私もそう思う』と。

 

天とはサムシンググレイト(大いなる存在)のことで、
私たちは見えないけれど大きな存在に見守られ生きている。
だから大丈夫、安心していきていいんだよ。
とゆっくりと優しい口調で話されます。

このお話を聞くと、self(本質のわたし)の
感覚に落ち着きます。

自然はいつだって、私たちの先生。
いつもヒントをくれたり、本質の私たちに戻してくれます。

一人一人が湧き上がる思いのまま行動に移せたら、
それが自分のためでもあり、人の役にまでたってしまうなんて
素敵な循環ですね。


ちなみにセッションを重ねていくと、
本当に自分のやりたいことや
好きなことがみえてくるようになります。

 

あなたのしたいことは何ですか?


それは何だっていいんです。
気になること、好きなこと、行ってみたい、やってみたい。
会いたい、話したい。五感を使うこと。たくさん何でも。

それはリソースにもつながります。

私も自分の好きを大切にしたいし、
どんどん増やしていきたいですね。



かっこちゃんは、この動画の初めの方で養護学校の教員としての経験から
病気や障がいについて、また倒れた友人の回復方法、
介護に携わることもシェアしてくださっています。
*【白雪姫プロジェクト】で検索してみてください

「知っている者が、知らない人たちに伝えていく」ことの大切さ。


この話を聞くと、私が学んだことも同じなのかなと思います。
カウンセリングやセラピー、心の仕組み、
セルフケアにおいても知らない方の方が多いはず。
知らないで、苦しんで悩んで体調にきたしたり
命までも落としたり。

家族の方もお辛いと思います。

知っている者が伝えていくこと。
私の「湧き上がる思い」の一つとして循環させていきますね。


その人らしく生きることにエネルギーを使ってほしい。
回り道もあるけれど、私たちはそのために生まれてきたのです。
そんなお手伝いをしていきます。

何はともあれ、また楽しんで生きましょう。






 

 

 

 

 

 

 

自分にかけた呪い④

こんにちは~

今朝の仙台は、雪景色でしたが昼間はすっかり晴れて
気持ちのいい一日となりました。

昨夜は満月も綺麗でしたね。

皆さんは、いかがお過ごしですか?

 

お蔭さまで、今年最後の日を無事に迎えることができました。
ブログを読んでいただいた皆様ありがとうございます。


セッション・シリーズの最終章で
2020年を終えさせていただきます。



私がクライアントで受けた12月のセッション
3回目の同テーマ
「鏡をみるのが怖い」の続きです。

12月に入り、肌の状態も段々と落ち着き始め
いつの間にか顎の周りの痛みもなくなっていました。

私の中の大丈夫感が戻ってきていました。
今ならセッションでみれそうな気がして同じテーマに。

セラピストさんは、それを理解して下さって、
調整ワークもほどほどにセラピーが進められました。


セラピストさんの問いかけに、私から出てくる思いは
ネガティブなものが多いにもかかわらず、
セラピストさんは、
ポジティブな思いに寄り添ってくれます。


ポジティブな思いを掘り下げていくと
潜在意識からあるシーンがでてきました。
恥ずかしいのですが、近所のよくいってたお店のおばあちゃんに
「美人ちゃん」と呼ばれていた小学校低学年の頃の私が登場します。

セラピストさんは、そう呼ばれてその子はどう感じているのか
問いかけてきます。

その子は、そのおばあちゃんに「美人ちゃん」と呼ばれて、
恥ずかしいけれど純粋に喜んでいました。

それを実際に体で表現してみてと。

その子の胸が弾むようなわくわく・ウキウキの感覚。
嬉しさに鼻歌がでるような体が揺れる感覚。

私は、この感覚をとても懐かしく感じました。
本当に久しぶりでした。


味わっていると嬉し涙がじんわり。
その子の感覚は私を童心に還させてくれました。
ずっと忘れていた感覚。
あー私の中に、この感覚あったんだ~


それを十分、心と身体で味わいました。

いつのまにか、自分を我慢させてたようです。
そのことにも気づきました。

心の奥の奥に潜んでいた、この幸せに包まれた感覚。
それが引き出され、喜びに溢れていました。


正直、顕在意識(気づいている意識)でも
「昔は美人ちゃんって呼ばれていたのにな」と
昔を懐かしむ思いは以前からありました。

でも、セラピーでself(大いなるわたし)の
感覚でちゃんと味わうのとは別ものでした。

そのいい感覚を十分味わった後、
「直美さんの、身体で好きなところはどこ?」
と問いかけられ・・・

??? 出てきません。

セラピストさんからヒントいただいて。
「そういえば鼻です。耳です」なんて言ってました。

自分の顔の好きなところなんてずっと忘れていました。
このパーツが好きだったことを、思い出すのに時間がかかりました。

そして、セラピストさんはそのパーツを一緒に撫でてくれます。
オンラインなので、私もマネして撫でます。
そっと、優しく触れるように、いい子、いい子しました。

自分を大切にすること、こうして深まっていくんですね。


その後、セッションを境に鏡をみることに抵抗がなくなりました。
鏡をみて、自分の顔を眺めると
「まぁ~年相応だなと (笑) 」と 
呪いの魔法がとけると、こうも感じ方が変るものかと不思議な感じ。

鏡をみるとき、鼻や耳私と共にいるパーツたちを
なでなでするようになりました。

本当によかったです。



セラピストとしても、とても勉強になったセッションでした。
身体の痛みがあるときは、そこにフォーカスすると
よけい痛みが強調されることもあるそうです。
セラピストさんに教えていただきました。

セッションはその都度、色んなパターンがあります。
大きな変化を期待することもあるけれど、
その時大きな変化はなくても、
ちゃんと次につながっています。

セッションはネガティブなところをみていくので「暗くて重たいもの」
というイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、
個人的にはセッションの始まりはそうだったとしても、
最後は明るくて、軽いエネルギー・慈愛に満ちた
やさしい・温かいエネルギーに変化します。
勿論、個人差感じ方にもよります。
辛いことの中にも、必ず光に満たされた面がありますので
ご安心下さい。


私もまだまだ、勉強中ですがクライアントさんに合わせた、
セッションを心掛けていきます。

体に携わる仕事もしておりますが心と身体・
身体と心どちらも大切。
自分自身の経験を経てそう感じます。

また病気や体調不良、ケガなど生きていればどんなに
心が整っていたとしても
起こることは起こります。

そんなとき、心と身体の
両面からみれる世の中になることを願います。

怖れの色付けをして、
症状をよけい敏感に感じさせてしまうこともありますから。
もしかしたら、そのような方の方が多いかもしれませんね。

心からのアプローチ・体からもアプローチが大切。
どちらも大事、バランスよく。


あなたの、暮らしに身体のケア同様、
心のケアをぜひ取り入れてください。

きっとあなた自身の幸せにつながります。
そしてその幸せは家族、周りの方と分かち合えるでしょう。


長い記録となりましたが、これにて終了です。


ご一緒下さった、セラピストさんにも感謝申し上げます。

いつも、沢山の気づきをありがとうございます。

来年も今年に続き、お一人でも縁ある方に、
心と身体のつながりをお伝えしていきます。
興味ある方がおりましたら、ぜひお声がけ下さい。

笑顔が増える一年にしていきましょう。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございました。

 

 

自分にかけた呪い③

それでは前回の続きです。

2回目・11月のセッションでもまだ肌は荒れていました。

目の周辺や頬のあたりは落ち着いたものの、
口周辺の顎のところが荒れて痒さに加え、
ピリピリと痛みが伴う状況でした。

痒みより、じっとしていても痛い。
この痛さが苦痛でした。
痛みと自分が同化して、痛みを感じている私を距離をおいて
眺めることなどできません。
頭で痛みと自分が同化していることが分かっていても
「同化を外すなんて無理だよ」という自分がいます。


痛みの感覚は自分が「ある」ことを、強く意識させられます。
痛みが私の中にあるとかではなく。
痛みが私の主役みたいになってのっとられちゃったような。

改めて痛みを眺める、痛みをただ感じることは難しいなと学びました。


痛みがあるときは、それもあるがままに。
抵抗していたわけでもないのですが、
痛みが過ぎ去るのを待つ時期は辛いですね。


そんな状態でしたので、2回目のセッションも調整ワークから始まりました。
途中身体が落ち着いたので、このテーマでセラピーをするか尋ねてみると
「やりたくない・みたくない」と抵抗する声が聞こえてきました。

抵抗があるときは、無理をさせません。

その日も調整ワークのみになりました。
調整ワークは丁寧に足裏の感覚から頭まで身体に寄り添って
地に足の着いた、グラウンディングの感覚を強めます。
今、ここにある意識にフォーカスしていきます。

今回も丁寧に時間をかけて、自分に寄り添うと痛みがいつの間にか
薄まり楽になっていました。
痛みが楽になるということは心理的な作用も働いて
自律神経のサバイバル状態が過剰になっていたということです。
安心・安全の領域が広がることで身体は大丈夫感を覚えていきます。

セラピストさんから、その日も私の中で起こっていることの説明をうけ
自分への理解を深めました。
また身体に触れることで自分へのやさしいアプローチを一緒に学んでいきます。

ゆっくり、ゆったりとselfの感覚が広がりました。
本質のわたしの感覚です。
この感覚はとても大切なものです。
瞑想もこの感覚になるために行うのではないでしょうか。

でも、本当は日常でも常に傍にある感覚です。


この感覚が多いほど、自然体の私でいられるのです。
そのことを忘れてしまう私はどうなったか。


ラスト、4回目は次に続きます。

自分にかけた呪い②

こんにちは~

 

昨日で接骨院のお仕事は仕事納めでした。
今年も無事に終了することができ良かったです。
ここでのお仕事を通じても、いろんな面で自分が問われ磨かれます。
それにお給料までいただけて、ありがたいです。

年明けは4日から出勤いたしますので、
どうぞよろしくお願いいたします。



では、前回の続きを書いてきます。

私が受けたセッション・テーマ「鏡をみるのが怖い」

同じテーマでセッションするのは珍しく、
10月からこのテーマで3回しました。

この肌に対する不安を解決したい、
もう終わりにしたい気持ちがうっすらとありました。

でも、その一方でこのテーマをやりたくない気持ちもありました。
だから、私にとってはチャレンジ課題。


一回目はセラピストさんにこの話をするのさえ嫌で、
「そんなこと思っているの」なんて思われないだろうか。
その他、諸々の気持ちがありました。

正直に話すとセラピストさんは、私の気持ちに共感してくれます。
「更年期も迎える年齢だしね~
わかるよ~ そういう時期あったよ~」とか。

 

「そうか、そうなんだ」こんな気持ちがあってもいいんだ
と思う自分がでてきます。

普段、現れるもの全てOKとかいいながら
自分のこととなると・・・

抵抗がありつつも、自分の中にある気持ちを話しだすと

私の肌に対する概念は
肌がカサカサ、荒れているのは嫌なこと不快なこと。
乾燥肌やアトピーは、肌をこすったりするので
皺が多いことも気になる。
今時期なら感染症対策で顔になるべく触れないようにと思っても
触れてしまうことも嫌。
でも、痒いし気になると余計手が行く。

肌が綺麗でないことは汚い・不潔じゃないか
という気持ちもありました。

肌の美しさは、見た目に響きます。
肌がきれいな人=若々しく健康的な人のイメージ。
そういう人は、人から認められ愛され度合いが高い。

見た目は重要。

それなのに、私は・・・

肌のきれいな人と比較して卑下してまう自分がいます。

現実の私は老いた皺の増えた、張りのない肌。
もう受け入れられない要素がた~くさ~ん。

ネガティブな解釈だらけです。

初回のこのセッションでは、セラピストさんは
この気持ちを受容したあと
最初から最後まで自律神経を調整するワークを行いました。

身体に意識を向けた調整ワークのみ。
セラピーはしませんでした。


調整ワークは足裏の感覚から、頭まで丁寧に行います。
身体の余計なチカラが抜けていきます。

ごちゃごちゃしていた不安いっぱいの思考が
クリアになりました。

単に「肌荒れしている」という状態に、
既に私の中では過去の恐怖も蘇り、
何とかしなくてはいけないというような様々な思いが
積み重なりはじめていたようです。
そんな状況でセラピーをしてもサバイバル状態を強化するだけなので、
そこは敢て触れずにいくというセラピストさんの判断です。

調整ワークのお蔭で副交感神経に働きかける安心・安全の領域が広がり
身も心も軽くなりました。
皮膚の痒さや不快感も落ち着きました。
緊張感から解放されリラックスを取り戻しました。

普段のセラピーとはまた一味違ったセッション。

一回目の、セッションはセラピストさんから
説明を受けこれにて終了。


self(大いなるわたし)の感覚を取り戻した私でした。

長くなりましたので3へ続きます。

自分にかけた呪い①

こんにちは~

 

久しぶりの投稿です。

もう、今週で2020年も終わり今年はコロナのこともあり
時間の感覚が変な感じがしております。
皆さんは、どうですか?

どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、
楽しいことがあっても、季節は廻り時間は過ぎていく。

時は止まることなく変化、変化の連続です。


そのあたりまえのことに安心する一方で、
私たちは自分にとってのいい状態をとどめようとしたりもします。

もう、前の状態も昔の自分もいないのに。
それは不自然なこと。
だから、辛くなったりしちゃいます。


変化を受け入れ、流れにのっていきたいですね。




今日は、昔の自分を捉えておきたかったお話を書き残しておきます。

私自身のセッションの記録になります。


「鏡を見るのが怖い」というテーマで3回セッションをしました。

アトピーがひどかった10数年前私は、顔に出たアトピーが辛くて
あるとき「鏡をみなければ、心は傷つかない」と
いいアイデアでも思いつたかのように、
極力鏡をみないと決めた時期がありました。
悲惨な自分を受け入れられなくて、逃げることを選んだのです。
あの時、鏡を見て自分にかけてた言葉は恐ろしいものでした。
可哀想なことしてました。

また、あの感覚が蘇るようなことが久しぶりにあったのです。
9月くらいからマスクをずっとつけているせいなのか、
単なる体調不良なのか、季節的なものなのか乾燥肌がひどくなり
顔の痒みが落ち着きません。
そうすると心も落ち着かなくなってきます。
アトピーがひどかった時の、見た目に対する心理的な怖さが蘇ってきました。

顔を中心とした目の周り、口の周りがカサカサ。
顎のあたりはマスクで痒くなります。
右手の人差し指の肌荒れも何故か荒れて悲惨。
手洗いも消毒液もしみます。
ひ~



10月くらいには、
顎の周辺がピリピリと痛みを伴いました。

今から思えば、ヘルペスだったのかもしれません。
アトピーって痒い⇒掻く⇒傷口ができるみたいな流れで
痛みを伴うことがあるのでわからなかったのです。

もう、こうなると気持ちはブルーです。
痛みと同化して、セルフワークもやりたくない。
不安が襲ってきていました。

だんだん鏡を見るのが怖くなりました。
今や老いも加算されて、鏡に映る姿は老婆。
長生きにともない、皺もシミもタルミも増えるのに。

よし、この辛い気持ちを思い切ってセッションでみてみようと
テーマに挑んだ私でしたが・・・

 



長くなりそうなので続きま~す。

 

 

 

あの頃セラピーを知ってたら

こんにちは~

 

外は真っ暗、雪積もる仙台です。
初雪は昨日から。
こんなに積もるとは、明日からの車の運転が心配になりますね。

今日私は、一か月ぶりのセッションの日でした。
パーツ心理学を学んでから、SEIFの感覚
(何者でもないわたしとでもいいましょうか)が
ベースとなって自分と同化しているものが以前より捉えやすくなりました。

いろんな私の中のパーツが顔をだします。
それらが統合される日があるのか無いのかわかりませんが、
愉しんで生きたいと思います。

今日はセッションの話ではなく、
「あの時セラピーを知っていたら」と思う出来事を書き残しておきます。


私が短大を卒業して2,3年が経った頃、
今は亡き親友が、精神状態が不安定になりその場に呼ばれたことがありました。
詳しいことは省きますが、そこには取り乱したいつもと違う感情的な彼女がいました。
どんな話をしたかは忘れましたが、その子の前で何にも出来なかった私。
その子のお母さんが私を信頼して連絡をくれたけれど私には何にも出来なかったのです。
短大で心理学は学んだけれど、どうしていいかわからなかったな。

あの時、私彼女の気持ちにちゃんと寄り添って話を聞けたのだろうか?
今ならタッピングして気持ちを落ち着かせることができたかもしれないな、
と時折思います。

その後、彼女は素敵な旦那さんと巡り合いお子さんも授かりました。
私も時々会っていました。
彼女は真面目で器用で、思いやりに満ちた優しい人でした。

そんな彼女がある日突然、亡くなったと連絡を受けました。
もうあれから10数年たちます。
彼女が生きていたら、きっとセラピーや心の話聞いてもらっていただろうなと思います。

あの日あの時、今の私なら少しは彼女の役にたてたのじゃないかと思うことあります。
そして、もしそれが叶うなら今私が学んでいるセッションをさせてもらって
サバイバル状態にあった彼女を安心させる手助けができたのかな。
折をみて、心の学びを少しづつ伝えられたのかななんて思います。

この経験から、そんな思いが出てきます。

大切な人が苦しんでいる時は、
その周りにいる方たちも知識があるとうろたえずにすみますね。

 


私の周りには、診療内科に行かれている方もおります。
病院に行くまでではないけれど不満やストレスを抱えている方多いです。
どうしていいのか分からないで困っている方が多いのではないでしょうか?

そんな時は、カウンセリングだけでなく自律神経を調整しながら
セラピーをしてくれるセラピストさんに相談するのも良いです。
自律神経を安定させるワークだけでも、
十分効果が得られます。
私も、体験済みです。


ご家族の方々は、本人を性格や気持ちの問題だと思い込んで
責めるのはやめた方がいいです。
癌になった人を責めたりしませんよね。
温かい言葉をかけるはずです。
本当は家族の方がセラピーを受けることも回復につながります。

お薬の助けも大切ですが、ゆくゆくは専門家を通じて
心の声をきいていくこと大切にして欲しいです。

それなりに時間はかかりますが、それ以上に自分自身に対する理解が
深まります。

この辛い経験も、必ず「いつかのいい日のため」につながっております。
冬が来て、春が来る。
きっといい意味づけができるようなりますので。

そんな時セラピーをご活用下さい。

 



愛しい時間

こんにちは~

 

昨日とは一変して12月を感じる仙台の寒空です。

これから冬到来ですね。

今日は飼い猫にまつわる話をします。

先日の11月29日(日)は、ぐり(ネコ)の9回目の誕生日でした。
ぐり、誕生日おめでとう。
一緒にいてくれてありがとう。

その日、私の友だちの子どもNちゃん(小6)
が写真を加工してメッセージをくれました。
毎年、ぐりとニコの誕生日にメッセージをくれます。
Nちゃんにとって2匹は友だちなんだそうです。
幼稚園のころからうちの2匹に会いにきてくれて、
小学校1年で福島へ転校してからも毎年会いに来てくれていました。


そのNちゃんちでも、2年前にラグドールを飼いました。
毛がふわふわでブルーの目が魅力的なプリンスそのもの。
ものすごく、可愛いです。

そのNちゃんちの、猫ちゃんが土曜日朝からぐったりとして
様子がいつもと違うので病院へ連れていくとすぐにICUに入れられたそう。
獣医さんから「夜、このまま病院で一人で最期を迎える可能性も
あります」と告げられ死を覚悟したそうです。
慣れたおうちに連れて帰りたいと家族で決断し、
今のところ波はありますが食欲も回復しつつあるそうです。

ひとまず安心。

猫の突然死はたまに聞く話ですが、
このまま乗り越えて元気になってくれることを願わずにいられません。

Nちゃんにとって弟分の猫。
シャイなNちゃんが獣医さんのお話を聞いて、
大泣きしたそうです。
お母さんは、現実をどっしりと受け止めることしかできないと。
母強し。
というか、お母さん自身も悲しいけれど
娘にそう諭すしかないですものね。

そんな大変なことがあった翌日の日曜。
ぐりのためにカードを送ってくれたのです。
自分たちに起きた大変な出来事も知らせずに。
いつもそう。優しい親子です。

Nちゃんは、猫ちゃんを通じて沢山の愛情を身につけています。。
一緒に遊び笑ったり、嫌だと思ったり。
ともに色々なことを感じ合えています。
命あるもの、肉体としての限りがあるからこそ一緒にいられる愛しい時間。
私も猫との時間だけでなく、他のこともそう思えることが多くなってきました。

物質として限りある「いのち」から学ぶことは多いですね。

人が解釈する「いのちが亡くなる」とは別れであり、
どちらかというと忌み嫌うもの。
私も、まだその解釈の方が正直強いです。
死なない人はいない。
死は自然なことなのに、やっぱりまだ怖かったりします。


『いのちは』

「いのち」は死を恐れていない。
「いのち」は老いることや、別れることを恐れてはいない。

恐れているのは思考だ。
人の頭の中でおきている。
それさえも自然なこと。
わたしたちは誰かと過ごし、
愛しさを知っているから。

動物は死を恐れていない。
本能的には備わっているだろうが、
人間ほどではないはず。

思考が「死」に対する恐ろしさや怖さを足しているんだ。

限りある「いのち」だからこそ共にいられる時間を慈しみたい。



そんなこと書き留めておきます。