セラピスト勉強会(第五回)

こんにちは~


気軽にセラピーを受けられる世の中に。
自分とつながる・他人とつながる調和の世界。

UNLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。


今日は6月20日に参加したセラピスト向け勉強会
(ブリッジングイヤーコース)の感想を書いておきます。

講師は、香川県在住の心理セラピスト・澤田 准さん。
1年間のコースで2月からスタートしております。
今回で5回目です。

毎回、心理教育に関する学びを准さんの経験を交えて
伝えいただき「心の仕組み」に理解が深まります。

今までポリベーガル理論・トラウマ・愛着障害など学びました。
心のことは多くの方に関りがあり、無関係ではありません。
そのことを知ると自分への理解も深まり、
自分自身に優しくなれて、
他人に寛容な気持ちが湧いてきます。
みんな、健気に生きてるなと思います。

将来的には道徳の授業に導入して欲しいくらいです。

講座では毎回、自分自身と繋がるワークも挟んで
心と身体がリセットされます。
シンプルですが、効果がありおもしろいです。


第五回目の今回は「セッションの進め方」でした。

駆け出し心理セラピストの私には、ためになることばかりでした。
ピックアップして書きますと

①セッションを進める上での、ポイント。

押さえておくポイントを具体的に把握することで頭の中が整理されました。
セッションはクライアントさんと協働調整をしながら、
外側・内側の状態を把握します。
おしゃべりしながらもセラピストは内容盛りだくさんです。


②いかにSELF(大いなる私)でいられるか。

セッションに操作性が入るほどうまくいきません。
結果や効果を望んでしまい混乱しがちになります。
でも、そのような気持ちは後ろにいてもらい
リラックスしたいつもの私でセッションをしていくこと。

などなど


今回の内容は、
普段私がしている身体の施術の仕事とも
共通点が多く聞き入りました。


実は、心のしくみを知ってからは
だいぶ気楽に施術できるようになりました。
その前は心身共に疲れてしまい、どうしようもなかったのです。
見えないけど当たり前に持ってる「こうあるべき」がまとわりついて
それはそれは重苦しかったです。

仕事に対して何らかのプレッシャーがある方にも、
セッションはオススメですよ。

話を戻しますね。


どうしても、癒そう、深堀しよう、セラピーしなければと思いますがクライアントさんによってはその日はトークだけ・調整だけになってもいいんだよとアドバイスをいただきました。

改めて、クライアントさんがシンプルにゆったりと時の流れを忘れるほど丁寧に身体で感じていること、
心で感じてることに寄り添える感覚を体験して欲しいと思いました。


最終的にクライアントさん自身が、
自分のケアをできることがセッションをうける
目的の一つでもあります。

その感覚を自分でつかむまでのセラピストはトレーナー的存在。

それを身につけてもらえれば、日々の生活で少しずつ自分にも意識を向けられるようになります。

慌てずに進めていくこと。

洞察力を磨いていきます。



最後に准さんがキュリー婦人の素敵な言葉を教えてくれました。
忘れないようシェアさせていただきます。


『人生に恐れるものなど、何ひとつありません。
ただ理解されるものがあるだけです。

そして、私たちが恐れを減らしていけれるように、
今こそさらに理解を深めていく時にきています。

マリー・キュリー           』

准さん、いつも惜しみない指導をありがとうございます。


ぜひ、心をみることでご自身に対する理解を深めてみて下さい。
自分を知ることは、時には勇気のいること。
はたまた、幽霊の正体を知ることになるかもしれません。

表に出せない嫌な部分も、受け入れてみる。
それは自分にしかできないことです。

今後とも経験を重ねていきますので、
ご興味ある方どうぞよろしくお願いいたします。




自分と分かち合えればいい

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
UNLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。

ここ数日肌寒い日が続いております。


今日は過去にあった自分自身の体験を述べてみたいと思います。


一年くらい前の話になります。
その当時、ある方の発言が気にさわって頭にきていた時期がありました。

長いストーリーは割愛しますね。

ある日爆発して、夫にその方の愚痴を言いました。
頭ではその人に対する投影があると
わかっているのですが気がすみません。

夫はわたしにとって、何でも話せるよき理解者。

慰めてくれると思いきや、その話をした時
夫はその方に理解を示したのです。

私の味方じゃないの?と正直思いました。
(もうここで、敵か味方かという視点です)

いや、もっと正直に言えば私が理不尽なこと言ってても、
私の味方をしてほしかった。

私の味方じゃなかったんだ・・・
とても悲しくて、同時に夫にも腹が立ちました。
「何でわかってくれないの?」と。


悲劇のヒロインです(笑)
その時は一方的に私が泣きわめき
夫は迷惑だったはず・・・

夫は相手がどんな人であろうと、
関係なく自分の視点から意見を述べたまでなのです。

それだから頼りになる人です。

その時ヒロインは
どんなに愛してくれる人でも自分の気持ちとは
同じにはならないんだと思いました。
勝手に裏切られた感がでてきます。

では、私自身は自分の気持ちをわかってあげているのだろうか?

答えはNO。

残念なことに自分の味方が欲しいほど弱気です。
そうだよねと誰かに言って欲しがっていたのです。

あなたは間違っていない、相手は勝手だよとでも言ってほしかったのです。

久しぶりに感情が大荒れした後、
自分の気持ちを見つめてみました。



①夫に味方になってもらえなくて悲しかった。
⇒夫であっても意見は別

②自分が自分の気持ちを一番わかってあげればいい。
⇒誰かに頼っていた

③不満があれば相手に直接話してみる。
⇒言えない自分をワークする

ということがわかりました。

正しい間違っているのは置いておき。
自分の気持ちを自分で受け止める。

そこから、前に進むのです。


どんなことがあっても
自分が自分の気持ちを一番理解してあげなきゃと思いました。

そんなことに気がついた出来事でした。

このようにセッションやワークをしていても
日常には投影満載、観念満載の私が潜んでいます。
それは私の心を育んでいる大切な時間です。


許せなかったあの人も、夫もただの登場人物です。
ご出演ありがとうございました。(笑)



セッションでは、その方にあった個別の対応をしていきます。
身体で日常動作の癖が歪みをつくるように、
心にも複雑に絡み合った癖があります。

ご自身の内側に興味ある方、お声がけ下さい。

自分と上手に付き合えるようお手伝いさせていただきます。





内側で起きていることに抵抗しない

こんにちは~

カラダと心を緩めるセラピスト
UNLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。

今朝配信されていた小出遥子さんの動画をみての感想です。
ぜひYouTubeで検索してご覧ください。
とても分かりやすく説明されています。
いつもありがとうございます。

小出さんは動画の中で、「内側で起きている思いや感情に抵抗しないで」とお話されています。
そのおとりですね。



普段私たちは、自分の外で起きていること(見た、聞いたなど)それをあたかも事実のように心の中で解釈が走ります。
それが思考の働きなのですが。
外で起きた出来事は「ただ起きただけ」なのです。
これ、すごく冷たい言い方になるんですが。

そのベクトルを自分の内側に向けてその時
「自分はそれをどう感じたのか」みてください。
昨日の記事に書いた観音様になるのです。

道徳的に観音様になることではありません。
観音様の視点で自分の内側をみるということです。

外で起きたことは変えられません。
自然現象です。

一方心の中でも自分の心象風景が描かれています。

反応するということは、何かしらのデーターが自分の中にあるので
みてあげるといいです。

未完了の思いは、たいてい繰り返し出てきます。

未完了の思いを抱えた小さな私と、
大人の私がお話してみてください。

小出さんが紹介されている通り、
「ホ・オポノポノ」で声掛けするのもいいですね。

やり方は、自分に合ったもので大丈夫です。

過去の小さな私、はたまたファミリー的な思い、
集合意識まで色々な思いや感情が出てくるかもしれません。

味わいたくない感覚かもしれませんが、
思いや感情にいいも悪いもないのでご安心ください。

自分自身を知ることにつながります。

やってみて、苦しくなったり辛くなる方は無理せず
ぜひ、声をかけてくださいね。

最初は言葉だけでは、わかりにくいと思いますので。

「いのち」あってこそ

心とカラダをゆるめるセラピスト
ANLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。

 

今日は短いメッセージを書きます。

「いのち」あってこそ。

価値は人間が付けたもの。
いのちの後につけたもの。
本当は、とてもちっぽけだ。

そんなものに惑わされ
踊らされ生きてきた。

「いのち」より大切な価値などない。
「いのち」の重さはみな同じ。

そんな「いのち」だからこそ大切にしたい。
地球上の生きとしいけるものすべての「いのち」が大事。

自分のいのちが脅かされたとき、
人は恐怖に怯える。
その「いのち」がおびえているならその声を、
体の感覚を感じてあげて下さい。

小さい子どもをなだめるように、
声をかけて安心させてあげてください。

「いのち」を生きる者として
どんな価値を大切に生きたい?

夢ならば

心とカラダをゆるめるセラピスト
unlearnのHPにお越しいただきありがとうございます。

♪『夢ならばどれほど よかったでしょう』

というlemonの歌詞のような案内が昨日私の元に入りました。

米津玄師さんのlemonより引用

そう、米津さんの仙台公演中止のお知らせです。
私も、友達と行く予定でした。
ミステリアスな彼の歌声を生で聴けるチャンスだったので非常に残念です。
チケットを手配してくれた友達は、私の何倍も楽しみにしていたので
落ち込みようが深いです。掛ける言葉もありません。

主催者側もかなりの英断だったはず。
これも次のいいことに繋がっているのかな~

気持ち切り替えていきます。

歌繋がりで気づいたことを今日は書いてみます。

この前、カラオケ行ったんです。
king Gnuの「白日」歌いました。
この歌を歌うの実は2度目。
前回、聴いただけで音源かけたら見事に歌えず。
聴くのと歌うのとでは大違い。

どうして聴いたようにアウトプットできないのか、
自分でも笑えます。

自分の解釈が入るのでしょうね。

ちょっと悔しかったので。
帰宅してから、YouTubeでカラオケ指導してる方の動画みました。
アイロンかけながら2回くらいかな。
それだけで、再度チャレンジしたら前より少しマシになっていて
自分にびっくりしました。

歌うポイントつかめたみたいです。

ありがとうございます。
カラオケのお兄さん。

初回は音について行くだけで精いっぱいだったのに、
2回目は音を待つような感じで口ずさめたのです。

ある意味奇跡。

こんなことかいてるけど、すごく下手です。

また、繰り返し聴いて練習したらうまく歌えるってことですね。
そんな些細なことで、びっくりしている幸せ者です。


追いかけるのと、来るものを待つのは雲泥の差です。


ここからカラオケと離れて、
日常に当てはめると

例えばの話で。
病気の人なら、病気を治そうとすることに意識を向けがちですけど
これは病気の症状を追いかけてる感じがします。


来るものに合わせるので、中々いつまでも追いつけない。

でも、今現れていることを認め受け入れていったり
生きてることに意識をフォーカスしたらどうかな。

現象を追いかけないで、
今にいるか。

治った未来を創造するか。

二つの意識。



私がアトピーで辛かった時、セッションを受け始めるようになってからは
「この痒み、辛さ、信じられないけど私のために働いている」みたいなこと言い聞かせていました。

そしたら、いつの間にかよくなっていたのです。

私の周りの方でも、健康になりたいという方ほど健康を追いかけていて
病院通いが多かったりサプリ沢山取ってるけど症状に苦しんでいる方見受けられます。
その方の気づきのペースがあるので、何も言いませんが。

自分も同じでしたからね。

とにかく、現象を追いかけてるとキリがないんじゃないかというお話です。
偉そうなこと言えないけれど、自分のために書いておきます。

私、いていいんだ。

HPにお越しいただきありがとうございます。

ブログの更新が久しぶりになりましたが、
今日からぼちぼち再開します。

ブログを書いていない間も、色んなことがありました。

今日はその一つを、思い出して記載します。



先週のセッションのお話です。

私は一番大事なのは自分でありながらも、
どこかで無条件に自分を愛することが出来ていませんでした。
ダメと感じる部分をどこかで許せてなくて、厳しいのです。

そんな私が、先週のセッションで自分自身が存在するだけでいいんだ
という無条件の感覚に包まれました。
当然、今までにもあった感覚なのですが印象に残りましたので記録しておきます。

その日のテーマは楽しみの抑圧。

私は、楽しそうにしている人にうっすら嫉妬心がありました。

日常の中でも、この思いは見え隠れしていました。
あの人は好きなことしてそれで稼げていて羨ましい。
私は好きなこと我慢して生きてきたのに。
などと。

その人のYouTubeをみて、私は笑っているのにもかかわらず。
一方でそんな思いがでてくるのです。

好きな人とは「みうら じゅん」さんです。
黒のサングラスにロン毛のね。
彼は話す内容もおもしろくて、それでいて真理をついています。

そこを切り口にセッションは始まり、
みうらじゅんさんは早々に消えて

意味あることを話さないとダメ。
そうしないと、みんなは私を凄いと思ってくれない。
私の良さを分かって欲しいという言葉がでてきます。

そのエネルギーをよく感じてみると、
お腹の方から
「みんながいるとき無理に話す必要はない。
わたしは、みんなをよくみているから困ったときに
言葉をかければいいんだ」というメッセージが聞こえてきました。

音もなく静かに伝わってきます。

私、まだ頑張ろうとしていたみたいです。

意味あることをして自分の存在価値を認めて欲しかったみたいです。

このことに気づけたら、身体の感覚はとても軽くなり心地よさに包まれました。

何にもしなくても私、いるだけでいいんだ。
そう思うと、とっても楽。
言葉さえ要らない。
空気でもいい。
この安心感。

これはハイヤーセルフの声だったのかな?
わかりません。

でも、私が想像した言葉でもなく、
内側から聞こえてきました。

意味あることがみんなに大切にしてもらえるんだ
という自我の声。
私を必死に守ってくれていて健気でした。
本当に小さな子どものアイデア。
やるじゃないか。

それを受け入れると、私のすべてを見守るような感覚を感じました。

不思議です。

この日を境に、また自分の芯が太く強くなりました。

大丈夫、どんなことがあっても大丈夫。


自分自身を含めたみえない存在にも、
感謝の気持ちが溢れてきます。


セラピストさんからは、行きつ戻りつして
段々と今までの脳の回路と違う新しい回路をつくり、
そして自己実現を叶えていくんだというお話もありました。

いつも、心に響くメッセージをありがとうございます。


これからも、こうして私は気づき変容していくのでしょう。






心のわだかまり

HPにお越しいただきありがとうございます。

本日の仙台は快晴です。

今日はさくっと、短く書きます。



心をみるようになり、
「星の王子様」ではないけれど
「大切なことは目には見えないんだよ」のセリフが心に響く。


心のわだかまりをみていくと
もともと傍にあった幸せに気づける。

悩み苦しみの多くは幻想。
それに惑わされていたことに気づき、
見えなかったものがみえてくる。

誰かの意見に従っていたり、
誰かを引き合いに出しているうちはまだまだ。

誰かと比べて、自分は幸せな方なんだとか。
これ以上贅沢を言ってはいけないとかいうことでもなかった。

心をちゃんと、丁寧にみていくと
自分が幸せの中にいることに気づける。
私の周りにいる人の幸せにも気づける。

人との付き合いもスムーズに循環する。
他とつながり生きている感じがする。

それが、人として心地よく生きるということなのかもしれない。

心のことを学んで振り返ると、
人に限らず沢山あるエネルギーの関わり合いの中で、
人としてどう生きたら自分は気楽なのか選べるようになってきた。

誰もが自分の世界の主人公。

自分の意思を尊重して選んで生きていけばいい。
それが出来ないとき、私は苦しいのかもしれない。

「家族の中が悪い」ことについて

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は私の好きなTAKUさんが、
Twitterの質問コーナーで回答されていた内容を
シェアさせていただきます。



【質問内容】
「家族の中が悪いのですが、どうすればよくなりますか?
このままでもいいんでしょうか?」

【TAKUさんの回答】
「世の中には家族の中が悪い人たちがごまんといますし、
歴史を見ても王様の後継者争いによる骨肉の争いのお話は枚挙にいとまがありません。
つまり家族の中が悪いというのは、よくある当たり前の姿であり、あるあるなんです。
そこを踏まえた上で、個人と個人の関係として、どうしたいのかを考えて見たらよいんじゃなんでしょうか?」

という内容でした。

TAKUさんのTwitterアカウントは
taku @TakuTakuteto
で検索してみてください。



さすが、TAKUさん。
素晴らしい回答です。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。


家族問題は、カウンセリングにいらっしゃる方の
ほどんどが突き当たるテーマです。

家族と仲が悪くなくても、
親のことはセッションの中にでてくる傾向が非常に高いです。


回答を読んで「そうだな~」と
納得・安心する方も多いと思います。
歴史を知ればわかること。
時代によって、自分の縄張りや種族を残すことは
生物の本能のひとつだと思います。




試しに、私がセッションするならでシュミレーションさせてください。
(変換が「趣味レーション」とでて笑えます。そう趣味です)


悩んでいる方は、「家族は仲が良いのが当たり前」
という思いが前提にあります。

そんなの当たり前じゃないかと声が聞こえてきそうです。
そう家族は仲がいいのが一番。
安心度の高い中で育った方が、心も身体もリラックスしていられます。

でも「当たり前のことなのか?当然のことなのか?」と
問いかけれられればそれは違います。
人それぞれになります。

そこで、うちはどうして仲が悪いのだろうと
自分の心にベクトルを向けてみると。

家族を責めたくなる気持ちがあったり、
仲良くしたい気持ちがあったり何層にも重なって
色々出てくるはずです。

過去のイメージや嫌なシーンもでてくるかもしれません。
そして、その奥にみえなくなっていた怒りや悲しみの感情を
癒してあげるとよいです。
自分に優しさを差し伸べてみてください。

そのあらゆる自分自身の中にあるものを受容してあげると、
あ~お母さんは変えられないな、
お父さんを変えることは難しいなと
何かしら自分の気持ちに変化があるかもしれません。

その上で、ここまでなら許せそう。
これくらいの距離感でなら付き合えそうとか
自分の要望が大概でてきます。

相手を変えようとするのではなく、
自分がこれなら楽でいられそうだという距離を
まずは大事にして下さい。

これがわからないという方は、セッションへどうぞ~

「相手を何とかする・自分を何とかするのは一旦脇におきましょう」
「自分の中にある、思いや感情に気づいて受け止めてあげましょう」
そこが第一段階です。

これはパートナー・子どもなど相手がどなたでも当てはまります。
自分にとって親や家族などの身近な方ほど、
お時間がかかります。

それほど、自分に関わる大切な人たちだから。
ここはじっくりです。

どうぞ、試してみてくださいね。







 

仕事と遊びの定義

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。

「仕事と遊び」

遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」

お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。

「仕事も遊びのうち」

とってもいい。



知らずにこなしている役割

HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。

今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。

ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。

自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?


人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。

私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。

心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。

だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。

他には、

妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。

その役割についた、ビリーフも満載でしたね。

逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。

お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。

この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。

専門用語で投影が外れるというやつです。

だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。

そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。

でも、みなさん知らずにやっているはずです。

今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。

この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。

本当にそうですね。

役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。

これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。


どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。

本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。

これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。

こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。