「いのち」あってこそ

心とカラダをゆるめるセラピスト
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今日は短いメッセージを書きます。

「いのち」あってこそ。

価値は人間が付けたもの。
いのちの後につけたもの。
本当は、とてもちっぽけだ。

そんなものに惑わされ
踊らされ生きてきた。

「いのち」より大切な価値などない。
「いのち」の重さはみな同じ。

そんな「いのち」だからこそ大切にしたい。
地球上の生きとしいけるものすべての「いのち」が大事。

自分のいのちが脅かされたとき、
人は恐怖に怯える。
その「いのち」がおびえているならその声を、
体の感覚を感じてあげて下さい。

小さい子どもをなだめるように、
声をかけて安心させてあげてください。

「いのち」を生きる者として
どんな価値を大切に生きたい?

夢ならば

心とカラダをゆるめるセラピスト
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♪『夢ならばどれほど よかったでしょう』

というlemonの歌詞のような案内が昨日私の元に入りました。

米津玄師さんのlemonより引用

そう、米津さんの仙台公演中止のお知らせです。
私も、友達と行く予定でした。
ミステリアスな彼の歌声を生で聴けるチャンスだったので非常に残念です。
チケットを手配してくれた友達は、私の何倍も楽しみにしていたので
落ち込みようが深いです。掛ける言葉もありません。

主催者側もかなりの英断だったはず。
これも次のいいことに繋がっているのかな~

気持ち切り替えていきます。

歌繋がりで気づいたことを今日は書いてみます。

この前、カラオケ行ったんです。
king Gnuの「白日」歌いました。
この歌を歌うの実は2度目。
前回、聴いただけで音源かけたら見事に歌えず。
聴くのと歌うのとでは大違い。

どうして聴いたようにアウトプットできないのか、
自分でも笑えます。

自分の解釈が入るのでしょうね。

ちょっと悔しかったので。
帰宅してから、YouTubeでカラオケ指導してる方の動画みました。
アイロンかけながら2回くらいかな。
それだけで、再度チャレンジしたら前より少しマシになっていて
自分にびっくりしました。

歌うポイントつかめたみたいです。

ありがとうございます。
カラオケのお兄さん。

初回は音について行くだけで精いっぱいだったのに、
2回目は音を待つような感じで口ずさめたのです。

ある意味奇跡。

こんなことかいてるけど、すごく下手です。

また、繰り返し聴いて練習したらうまく歌えるってことですね。
そんな些細なことで、びっくりしている幸せ者です。


追いかけるのと、来るものを待つのは雲泥の差です。


ここからカラオケと離れて、
日常に当てはめると

例えばの話で。
病気の人なら、病気を治そうとすることに意識を向けがちですけど
これは病気の症状を追いかけてる感じがします。


来るものに合わせるので、中々いつまでも追いつけない。

でも、今現れていることを認め受け入れていったり
生きてることに意識をフォーカスしたらどうかな。

現象を追いかけないで、
今にいるか。

治った未来を創造するか。

二つの意識。



私がアトピーで辛かった時、セッションを受け始めるようになってからは
「この痒み、辛さ、信じられないけど私のために働いている」みたいなこと言い聞かせていました。

そしたら、いつの間にかよくなっていたのです。

私の周りの方でも、健康になりたいという方ほど健康を追いかけていて
病院通いが多かったりサプリ沢山取ってるけど症状に苦しんでいる方見受けられます。
その方の気づきのペースがあるので、何も言いませんが。

自分も同じでしたからね。

とにかく、現象を追いかけてるとキリがないんじゃないかというお話です。
偉そうなこと言えないけれど、自分のために書いておきます。

私、いていいんだ。

HPにお越しいただきありがとうございます。

ブログの更新が久しぶりになりましたが、
今日からぼちぼち再開します。

ブログを書いていない間も、色んなことがありました。

今日はその一つを、思い出して記載します。



先週のセッションのお話です。

私は一番大事なのは自分でありながらも、
どこかで無条件に自分を愛することが出来ていませんでした。
ダメと感じる部分をどこかで許せてなくて、厳しいのです。

そんな私が、先週のセッションで自分自身が存在するだけでいいんだ
という無条件の感覚に包まれました。
当然、今までにもあった感覚なのですが印象に残りましたので記録しておきます。

その日のテーマは楽しみの抑圧。

私は、楽しそうにしている人にうっすら嫉妬心がありました。

日常の中でも、この思いは見え隠れしていました。
あの人は好きなことしてそれで稼げていて羨ましい。
私は好きなこと我慢して生きてきたのに。
などと。

その人のYouTubeをみて、私は笑っているのにもかかわらず。
一方でそんな思いがでてくるのです。

好きな人とは「みうら じゅん」さんです。
黒のサングラスにロン毛のね。
彼は話す内容もおもしろくて、それでいて真理をついています。

そこを切り口にセッションは始まり、
みうらじゅんさんは早々に消えて

意味あることを話さないとダメ。
そうしないと、みんなは私を凄いと思ってくれない。
私の良さを分かって欲しいという言葉がでてきます。

そのエネルギーをよく感じてみると、
お腹の方から
「みんながいるとき無理に話す必要はない。
わたしは、みんなをよくみているから困ったときに
言葉をかければいいんだ」というメッセージが聞こえてきました。

音もなく静かに伝わってきます。

私、まだ頑張ろうとしていたみたいです。

意味あることをして自分の存在価値を認めて欲しかったみたいです。

このことに気づけたら、身体の感覚はとても軽くなり心地よさに包まれました。

何にもしなくても私、いるだけでいいんだ。
そう思うと、とっても楽。
言葉さえ要らない。
空気でもいい。
この安心感。

これはハイヤーセルフの声だったのかな?
わかりません。

でも、私が想像した言葉でもなく、
内側から聞こえてきました。

意味あることがみんなに大切にしてもらえるんだ
という自我の声。
私を必死に守ってくれていて健気でした。
本当に小さな子どものアイデア。
やるじゃないか。

それを受け入れると、私のすべてを見守るような感覚を感じました。

不思議です。

この日を境に、また自分の芯が太く強くなりました。

大丈夫、どんなことがあっても大丈夫。


自分自身を含めたみえない存在にも、
感謝の気持ちが溢れてきます。


セラピストさんからは、行きつ戻りつして
段々と今までの脳の回路と違う新しい回路をつくり、
そして自己実現を叶えていくんだというお話もありました。

いつも、心に響くメッセージをありがとうございます。


これからも、こうして私は気づき変容していくのでしょう。






心のわだかまり

HPにお越しいただきありがとうございます。

本日の仙台は快晴です。

今日はさくっと、短く書きます。



心をみるようになり、
「星の王子様」ではないけれど
「大切なことは目には見えないんだよ」のセリフが心に響く。


心のわだかまりをみていくと
もともと傍にあった幸せに気づける。

悩み苦しみの多くは幻想。
それに惑わされていたことに気づき、
見えなかったものがみえてくる。

誰かの意見に従っていたり、
誰かを引き合いに出しているうちはまだまだ。

誰かと比べて、自分は幸せな方なんだとか。
これ以上贅沢を言ってはいけないとかいうことでもなかった。

心をちゃんと、丁寧にみていくと
自分が幸せの中にいることに気づける。
私の周りにいる人の幸せにも気づける。

人との付き合いもスムーズに循環する。
他とつながり生きている感じがする。

それが、人として心地よく生きるということなのかもしれない。

心のことを学んで振り返ると、
人に限らず沢山あるエネルギーの関わり合いの中で、
人としてどう生きたら自分は気楽なのか選べるようになってきた。

誰もが自分の世界の主人公。

自分の意思を尊重して選んで生きていけばいい。
それが出来ないとき、私は苦しいのかもしれない。

「家族の中が悪い」ことについて

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は私の好きなTAKUさんが、
Twitterの質問コーナーで回答されていた内容を
シェアさせていただきます。



【質問内容】
「家族の中が悪いのですが、どうすればよくなりますか?
このままでもいいんでしょうか?」

【TAKUさんの回答】
「世の中には家族の中が悪い人たちがごまんといますし、
歴史を見ても王様の後継者争いによる骨肉の争いのお話は枚挙にいとまがありません。
つまり家族の中が悪いというのは、よくある当たり前の姿であり、あるあるなんです。
そこを踏まえた上で、個人と個人の関係として、どうしたいのかを考えて見たらよいんじゃなんでしょうか?」

という内容でした。

TAKUさんのTwitterアカウントは
taku @TakuTakuteto
で検索してみてください。



さすが、TAKUさん。
素晴らしい回答です。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。


家族問題は、カウンセリングにいらっしゃる方の
ほどんどが突き当たるテーマです。

家族と仲が悪くなくても、
親のことはセッションの中にでてくる傾向が非常に高いです。


回答を読んで「そうだな~」と
納得・安心する方も多いと思います。
歴史を知ればわかること。
時代によって、自分の縄張りや種族を残すことは
生物の本能のひとつだと思います。




試しに、私がセッションするならでシュミレーションさせてください。
(変換が「趣味レーション」とでて笑えます。そう趣味です)


悩んでいる方は、「家族は仲が良いのが当たり前」
という思いが前提にあります。

そんなの当たり前じゃないかと声が聞こえてきそうです。
そう家族は仲がいいのが一番。
安心度の高い中で育った方が、心も身体もリラックスしていられます。

でも「当たり前のことなのか?当然のことなのか?」と
問いかけれられればそれは違います。
人それぞれになります。

そこで、うちはどうして仲が悪いのだろうと
自分の心にベクトルを向けてみると。

家族を責めたくなる気持ちがあったり、
仲良くしたい気持ちがあったり何層にも重なって
色々出てくるはずです。

過去のイメージや嫌なシーンもでてくるかもしれません。
そして、その奥にみえなくなっていた怒りや悲しみの感情を
癒してあげるとよいです。
自分に優しさを差し伸べてみてください。

そのあらゆる自分自身の中にあるものを受容してあげると、
あ~お母さんは変えられないな、
お父さんを変えることは難しいなと
何かしら自分の気持ちに変化があるかもしれません。

その上で、ここまでなら許せそう。
これくらいの距離感でなら付き合えそうとか
自分の要望が大概でてきます。

相手を変えようとするのではなく、
自分がこれなら楽でいられそうだという距離を
まずは大事にして下さい。

これがわからないという方は、セッションへどうぞ~

「相手を何とかする・自分を何とかするのは一旦脇におきましょう」
「自分の中にある、思いや感情に気づいて受け止めてあげましょう」
そこが第一段階です。

これはパートナー・子どもなど相手がどなたでも当てはまります。
自分にとって親や家族などの身近な方ほど、
お時間がかかります。

それほど、自分に関わる大切な人たちだから。
ここはじっくりです。

どうぞ、試してみてくださいね。







 

仕事と遊びの定義

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。

「仕事と遊び」

遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」

お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。

「仕事も遊びのうち」

とってもいい。



知らずにこなしている役割

HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。

今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。

ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。

自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?


人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。

私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。

心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。

だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。

他には、

妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。

その役割についた、ビリーフも満載でしたね。

逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。

お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。

この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。

専門用語で投影が外れるというやつです。

だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。

そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。

でも、みなさん知らずにやっているはずです。

今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。

この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。

本当にそうですね。

役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。

これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。


どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。

本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。

これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。

こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。




やるせない気持ちの先にあるもの

こんにちは~

HPにご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は自分が元気な時は忘れていて、気にもしないのだけれど
「いのち」に関わる重要な出来事が起きた時に
現れてくる気持ちについて少しかいてみます。

前回の記事にも書きましたが、時代の流れや、
社会的な影響を受けて私たちは生きています。
昔は今よりはるかに強い集合意識が刻まれていたと思います。
戦争があった時代などは、自分の意思を抑えて集団の中で生きていたのではないでしょうか。

それに加えて自然災害で人が亡くなったり、被災したり、
事故だったり、いのちにかかわる病気になったり、

その出来事の前で人は、起こったことを受け入れ
「あきらめるしかない」のかもしれません。
運命や天命を受け入れるということになるかもしれません。


セルフワークやセッションでも、
感情を癒しても最終的に残る言いようのない感覚。
「そうするしかなかった」という無念さ。
ここを納得するのに、結構時間がかかります。

人が太刀打ち出来ない神の領域。

生命の全体の流れを眺めることは、
自我には理解し難いもの。


自分の存在をちっぽけに感じさせるのに、
全体からみたときに「愛」というやさしさや、
あたたかさで私を救ってもくれる。

この感覚に身を任せた時、余分なチカラが抜ける。

守られていると感じることも確か


だから、泣いても、怒っても、苦しんでも、
悲しんでも、嫉妬しても、笑っててもいいんだと思える。

安心して生きていいことを教えてくれる。
大丈夫。
これが魔法のことばになる。



元々わたしたちは、喜びで生きている存在。
すべてを受け入れ、身をゆだねて生きるしかないんだ。
「いのち」の前に、いつも気づかされる。
だから、泣くだけ泣いたら前に進みたい。

すべての現象を愛しめる「私」でありたい。




父方、祖父の癒し

こんにちは~

今日の午前はプロのセラピストさんからセッションを受けました。
まだ、テーマあるの?と言われそうですがまだあります。

今もセッション前は、心がざわつきます。
何が出てくるか、わからないし心の痛み感じたくないですからね。

それでも思い込みや感情の囚われから解放され、
未知なる自分と出会うためにもセラピーを続けます。
人のことより、自分のこころが大切な今日この頃です。

今日も受けてよかったと思える
あたたかなセッションでした。
記憶が薄れないうちに記載しておきます。


今日のテーマは
「知らない男性にセッションをするのが怖い」
お知りあいの方や知ってる方の紹介ならいいのですが
実際に、面識のない知らない男性にセッションするのに怖れがありました。

セラピストさんから
「知らない男性からセッションの申し込みがきたら?」
と問いかけられイメージすると身体に強い反応がでます。

そこを入り口にセッションが始まりました。

身体の反応する感覚が「男の人はかわいそう・
弱音も吐けない・耐えるしかない・泣いてはいけない
・みじめ」など男性性の中にありそうな弱さを感じる言葉がでてきます。


その思いや感覚を受容しながら進むと、
戦争に行っている男の人たちのイメージが現れます。

その男性たちは家族を残して戦争に行かなければならない辛さだったり、
戦地に行って命令に従わなければならなかったり、
環境の悪いところで、食事も満足にとることもできずに
「国を守るため、家族を守るため」に自分の感情は押し殺して
戦わなければならない辛さみたいなものが出てきます。

この前のブログに書きましたが、私の祖父は戦争に実際行っており
帰ってくることはできたものの父が6歳の時に亡くなっております。
遺影の写真も軍服姿です。

そのエネルギーが祖父から父を通じて私に受け継がれていた
ものかもしれません。

前々から戦争に関する映画やドラマを観るたび、
やりすごしてはいけないような、何かひっかかるものがありました。
ここ数年は悲しい気持ちになるのも嫌で、
戦争映画は極力観ないようにしてました。


もちろん反応の中には、日本人としての集合意識もあると思います。
戦争で多くの人が悲しみに包まれていますからね。

「男だから」という理由で、
強制的に戦争に行かなければならなかった男の人たち。

時代の流れに、逆らうこともできず耐え忍び我慢するしかなかった人たち。

この時代は、男性は強い存在で女性の手前
弱音を吐くことも泣くこともできなかったでしょう。

実際に私の父は、「男は人前で泣いてはいけない」というようなことを昔言ってました。
父の弱音を一度も聞いたことがありません。

おじいちゃんや周りの人たちに「男たるもの、こうあるべき」という
教育を受けたのでしょう。

今の時代とは大違いですね。

出てくる思いや感情を受容していくと、
深い悲しみに言葉も失い涙も溢れます。
気持ちが行ったり来たりするものの、徐々に体感も軽やかになり
戦争に行かれた方への感謝の気持ちも湧いてきます。

でも、最後まで「かわいそう」というやり場のない気持ちが残りました。

そこも丁寧にみていきます。

『この「かわいそう」の奥にあるエネルギーも感じてみてね』とセラピストさんのやさしい声が聞こえます。

「この奥?ってなんだろう」

そう思って感じてみると、イメージの奥に
やわらかな光を感じました。

「小さな光」

でも、それは暗闇の中の灯りであたたかい。
その光に気づくと「かわいそう」と感じているエネルギーをその光で包んであげたくなりました。
そうしてあげると段々とそのエネルギーは軽くなって身体の感覚もほどけてゆきました。

最後は「ありがとう」という言葉さえ消え失せて

宇宙?なのか
宙に浮かんで軽い、何にもない感覚にくつろぐことができました。

この感覚を十分味わってセッションは終わりました。

今回のセッションでは、私の中にあった父、祖父、
日本人にある男性性の集合的な意識を癒すことができたと思います。

私の中には男性は暴力的なところもあるし、弱い面もあると捉えていて
何を考えていて、何をされるかわからない。
相手がどんな人かわからないと信用できないという恐れがありました。
今回それがゆるんで、安心感が強くなりました。


最後のテスティングでは
「男性からのセッションの申し込みがあったら、
私にできる方ならさせていただく」
という思いに変化していました。

実際のところはどうなるかわかりませんが、
セラピーを終えてエネルギーフィールドが変わったことはわかりました。


この男性性については、本当に長いこと私のテーマでしたので
徐々に女性性と統合されつつあり大きな荷物を降ろしていくような
解放感があります。

自分自身の変化に、今後も楽しみです。

お付き合いくださったセラピストさん
ありがとうございます。

心より感謝申し上げます。














 

King Gnu『白日』

こんにちは~

紅白にも出場されたKing Gnuの『白日』を聴いて刺激されることを少し書いてみます。

曲を作る方、特に作詞される方は「言葉」を操るプロだと感じているのですがこの曲もその一つ。
何度聴いても、いろんな意味に気づけるすごい歌詞です。
天才です。
観るたびに、気づくことが多い映画みたい。

それに加え、メロディーも歌声も素晴らしい最高の曲。



この曲ひとつから、「こんな自分いた~ いる~ わかる~ 」と
色々な顔を持った自分のストーリーが展開されていきます。

どちらかというと人間臭い、ブラックな自分。
それにしても、罪悪感って根強いなと感心します。

この感覚がわかる自分のこと、昔なら嫌だと思っていたけど、
今ならこれもいいよねと認められるようになりました。

この感覚を抑え込んだり、自分の悪いところだとジャッジして何とかしようとしてたな~と気がつけます。


個人的には冒頭の歌詞で

『今の僕には 何ができるの?
何になれるの?
誰かのために 生きるのなら
正しいことばかり
言ってらんないよな』

King Gnu 『白日』(作詞:常田大希)より引用

のくだりが、一番ぐさりときます。
承認欲求が強いわたしとしては、この歌詞は耳が痛いです(笑)


今もやっぱり、どこかで「私が正しい」を外に求めています。
まだ、手放せないでいます。
も少し一緒にいたいと思います。

この曲がYouTubeで再生回数が多いのは
みんなさん、共感できる部分が多いから?

わたしたちは、個別の私でありながらひとつにつながっているのが
わかっているのかな。

この難しい曲を、カラオケで歌える日が私に来るのでしょうか。

ぜひ、YouTubeでご覧になってください。
他にもいい曲ありまーす。