心のわだかまり

HPにお越しいただきありがとうございます。

本日の仙台は快晴です。

今日はさくっと、短く書きます。



心をみるようになり、
「星の王子様」ではないけれど
「大切なことは目には見えないんだよ」のセリフが心に響く。


心のわだかまりをみていくと
もともと傍にあった幸せに気づける。

悩み苦しみの多くは幻想。
それに惑わされていたことに気づき、
見えなかったものがみえてくる。

誰かの意見に従っていたり、
誰かを引き合いに出しているうちはまだまだ。

誰かと比べて、自分は幸せな方なんだとか。
これ以上贅沢を言ってはいけないとかいうことでもなかった。

心をちゃんと、丁寧にみていくと
自分が幸せの中にいることに気づける。
私の周りにいる人の幸せにも気づける。

人との付き合いもスムーズに循環する。
他とつながり生きている感じがする。

それが、人として心地よく生きるということなのかもしれない。

心のことを学んで振り返ると、
人に限らず沢山あるエネルギーの関わり合いの中で、
人としてどう生きたら自分は気楽なのか選べるようになってきた。

誰もが自分の世界の主人公。

自分の意思を尊重して選んで生きていけばいい。
それが出来ないとき、私は苦しいのかもしれない。

「家族の中が悪い」ことについて

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は私の好きなTAKUさんが、
Twitterの質問コーナーで回答されていた内容を
シェアさせていただきます。



【質問内容】
「家族の中が悪いのですが、どうすればよくなりますか?
このままでもいいんでしょうか?」

【TAKUさんの回答】
「世の中には家族の中が悪い人たちがごまんといますし、
歴史を見ても王様の後継者争いによる骨肉の争いのお話は枚挙にいとまがありません。
つまり家族の中が悪いというのは、よくある当たり前の姿であり、あるあるなんです。
そこを踏まえた上で、個人と個人の関係として、どうしたいのかを考えて見たらよいんじゃなんでしょうか?」

という内容でした。

TAKUさんのTwitterアカウントは
taku @TakuTakuteto
で検索してみてください。



さすが、TAKUさん。
素晴らしい回答です。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。


家族問題は、カウンセリングにいらっしゃる方の
ほどんどが突き当たるテーマです。

家族と仲が悪くなくても、
親のことはセッションの中にでてくる傾向が非常に高いです。


回答を読んで「そうだな~」と
納得・安心する方も多いと思います。
歴史を知ればわかること。
時代によって、自分の縄張りや種族を残すことは
生物の本能のひとつだと思います。




試しに、私がセッションするならでシュミレーションさせてください。
(変換が「趣味レーション」とでて笑えます。そう趣味です)


悩んでいる方は、「家族は仲が良いのが当たり前」
という思いが前提にあります。

そんなの当たり前じゃないかと声が聞こえてきそうです。
そう家族は仲がいいのが一番。
安心度の高い中で育った方が、心も身体もリラックスしていられます。

でも「当たり前のことなのか?当然のことなのか?」と
問いかけれられればそれは違います。
人それぞれになります。

そこで、うちはどうして仲が悪いのだろうと
自分の心にベクトルを向けてみると。

家族を責めたくなる気持ちがあったり、
仲良くしたい気持ちがあったり何層にも重なって
色々出てくるはずです。

過去のイメージや嫌なシーンもでてくるかもしれません。
そして、その奥にみえなくなっていた怒りや悲しみの感情を
癒してあげるとよいです。
自分に優しさを差し伸べてみてください。

そのあらゆる自分自身の中にあるものを受容してあげると、
あ~お母さんは変えられないな、
お父さんを変えることは難しいなと
何かしら自分の気持ちに変化があるかもしれません。

その上で、ここまでなら許せそう。
これくらいの距離感でなら付き合えそうとか
自分の要望が大概でてきます。

相手を変えようとするのではなく、
自分がこれなら楽でいられそうだという距離を
まずは大事にして下さい。

これがわからないという方は、セッションへどうぞ~

「相手を何とかする・自分を何とかするのは一旦脇におきましょう」
「自分の中にある、思いや感情に気づいて受け止めてあげましょう」
そこが第一段階です。

これはパートナー・子どもなど相手がどなたでも当てはまります。
自分にとって親や家族などの身近な方ほど、
お時間がかかります。

それほど、自分に関わる大切な人たちだから。
ここはじっくりです。

どうぞ、試してみてくださいね。







 

仕事と遊びの定義

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。

「仕事と遊び」

遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」

お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。

「仕事も遊びのうち」

とってもいい。



知らずにこなしている役割

HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。

今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。

ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。

自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?


人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。

私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。

心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。

だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。

他には、

妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。

その役割についた、ビリーフも満載でしたね。

逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。

お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。

この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。

専門用語で投影が外れるというやつです。

だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。

そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。

でも、みなさん知らずにやっているはずです。

今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。

この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。

本当にそうですね。

役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。

これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。


どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。

本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。

これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。

こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。




やるせない気持ちの先にあるもの

こんにちは~

HPにご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は自分が元気な時は忘れていて、気にもしないのだけれど
「いのち」に関わる重要な出来事が起きた時に
現れてくる気持ちについて少しかいてみます。

前回の記事にも書きましたが、時代の流れや、
社会的な影響を受けて私たちは生きています。
昔は今よりはるかに強い集合意識が刻まれていたと思います。
戦争があった時代などは、自分の意思を抑えて集団の中で生きていたのではないでしょうか。

それに加えて自然災害で人が亡くなったり、被災したり、
事故だったり、いのちにかかわる病気になったり、

その出来事の前で人は、起こったことを受け入れ
「あきらめるしかない」のかもしれません。
運命や天命を受け入れるということになるかもしれません。


セルフワークやセッションでも、
感情を癒しても最終的に残る言いようのない感覚。
「そうするしかなかった」という無念さ。
ここを納得するのに、結構時間がかかります。

人が太刀打ち出来ない神の領域。

生命の全体の流れを眺めることは、
自我には理解し難いもの。


自分の存在をちっぽけに感じさせるのに、
全体からみたときに「愛」というやさしさや、
あたたかさで私を救ってもくれる。

この感覚に身を任せた時、余分なチカラが抜ける。

守られていると感じることも確か


だから、泣いても、怒っても、苦しんでも、
悲しんでも、嫉妬しても、笑っててもいいんだと思える。

安心して生きていいことを教えてくれる。
大丈夫。
これが魔法のことばになる。



元々わたしたちは、喜びで生きている存在。
すべてを受け入れ、身をゆだねて生きるしかないんだ。
「いのち」の前に、いつも気づかされる。
だから、泣くだけ泣いたら前に進みたい。

すべての現象を愛しめる「私」でありたい。




父方、祖父の癒し

こんにちは~

今日の午前はプロのセラピストさんからセッションを受けました。
まだ、テーマあるの?と言われそうですがまだあります。

今もセッション前は、心がざわつきます。
何が出てくるか、わからないし心の痛み感じたくないですからね。

それでも思い込みや感情の囚われから解放され、
未知なる自分と出会うためにもセラピーを続けます。
人のことより、自分のこころが大切な今日この頃です。

今日も受けてよかったと思える
あたたかなセッションでした。
記憶が薄れないうちに記載しておきます。


今日のテーマは
「知らない男性にセッションをするのが怖い」
お知りあいの方や知ってる方の紹介ならいいのですが
実際に、面識のない知らない男性にセッションするのに怖れがありました。

セラピストさんから
「知らない男性からセッションの申し込みがきたら?」
と問いかけられイメージすると身体に強い反応がでます。

そこを入り口にセッションが始まりました。

身体の反応する感覚が「男の人はかわいそう・
弱音も吐けない・耐えるしかない・泣いてはいけない
・みじめ」など男性性の中にありそうな弱さを感じる言葉がでてきます。


その思いや感覚を受容しながら進むと、
戦争に行っている男の人たちのイメージが現れます。

その男性たちは家族を残して戦争に行かなければならない辛さだったり、
戦地に行って命令に従わなければならなかったり、
環境の悪いところで、食事も満足にとることもできずに
「国を守るため、家族を守るため」に自分の感情は押し殺して
戦わなければならない辛さみたいなものが出てきます。

この前のブログに書きましたが、私の祖父は戦争に実際行っており
帰ってくることはできたものの父が6歳の時に亡くなっております。
遺影の写真も軍服姿です。

そのエネルギーが祖父から父を通じて私に受け継がれていた
ものかもしれません。

前々から戦争に関する映画やドラマを観るたび、
やりすごしてはいけないような、何かひっかかるものがありました。
ここ数年は悲しい気持ちになるのも嫌で、
戦争映画は極力観ないようにしてました。


もちろん反応の中には、日本人としての集合意識もあると思います。
戦争で多くの人が悲しみに包まれていますからね。

「男だから」という理由で、
強制的に戦争に行かなければならなかった男の人たち。

時代の流れに、逆らうこともできず耐え忍び我慢するしかなかった人たち。

この時代は、男性は強い存在で女性の手前
弱音を吐くことも泣くこともできなかったでしょう。

実際に私の父は、「男は人前で泣いてはいけない」というようなことを昔言ってました。
父の弱音を一度も聞いたことがありません。

おじいちゃんや周りの人たちに「男たるもの、こうあるべき」という
教育を受けたのでしょう。

今の時代とは大違いですね。

出てくる思いや感情を受容していくと、
深い悲しみに言葉も失い涙も溢れます。
気持ちが行ったり来たりするものの、徐々に体感も軽やかになり
戦争に行かれた方への感謝の気持ちも湧いてきます。

でも、最後まで「かわいそう」というやり場のない気持ちが残りました。

そこも丁寧にみていきます。

『この「かわいそう」の奥にあるエネルギーも感じてみてね』とセラピストさんのやさしい声が聞こえます。

「この奥?ってなんだろう」

そう思って感じてみると、イメージの奥に
やわらかな光を感じました。

「小さな光」

でも、それは暗闇の中の灯りであたたかい。
その光に気づくと「かわいそう」と感じているエネルギーをその光で包んであげたくなりました。
そうしてあげると段々とそのエネルギーは軽くなって身体の感覚もほどけてゆきました。

最後は「ありがとう」という言葉さえ消え失せて

宇宙?なのか
宙に浮かんで軽い、何にもない感覚にくつろぐことができました。

この感覚を十分味わってセッションは終わりました。

今回のセッションでは、私の中にあった父、祖父、
日本人にある男性性の集合的な意識を癒すことができたと思います。

私の中には男性は暴力的なところもあるし、弱い面もあると捉えていて
何を考えていて、何をされるかわからない。
相手がどんな人かわからないと信用できないという恐れがありました。
今回それがゆるんで、安心感が強くなりました。


最後のテスティングでは
「男性からのセッションの申し込みがあったら、
私にできる方ならさせていただく」
という思いに変化していました。

実際のところはどうなるかわかりませんが、
セラピーを終えてエネルギーフィールドが変わったことはわかりました。


この男性性については、本当に長いこと私のテーマでしたので
徐々に女性性と統合されつつあり大きな荷物を降ろしていくような
解放感があります。

自分自身の変化に、今後も楽しみです。

お付き合いくださったセラピストさん
ありがとうございます。

心より感謝申し上げます。














 

King Gnu『白日』

こんにちは~

紅白にも出場されたKing Gnuの『白日』を聴いて刺激されることを少し書いてみます。

曲を作る方、特に作詞される方は「言葉」を操るプロだと感じているのですがこの曲もその一つ。
何度聴いても、いろんな意味に気づけるすごい歌詞です。
天才です。
観るたびに、気づくことが多い映画みたい。

それに加え、メロディーも歌声も素晴らしい最高の曲。



この曲ひとつから、「こんな自分いた~ いる~ わかる~ 」と
色々な顔を持った自分のストーリーが展開されていきます。

どちらかというと人間臭い、ブラックな自分。
それにしても、罪悪感って根強いなと感心します。

この感覚がわかる自分のこと、昔なら嫌だと思っていたけど、
今ならこれもいいよねと認められるようになりました。

この感覚を抑え込んだり、自分の悪いところだとジャッジして何とかしようとしてたな~と気がつけます。


個人的には冒頭の歌詞で

『今の僕には 何ができるの?
何になれるの?
誰かのために 生きるのなら
正しいことばかり
言ってらんないよな』

King Gnu 『白日』(作詞:常田大希)より引用

のくだりが、一番ぐさりときます。
承認欲求が強いわたしとしては、この歌詞は耳が痛いです(笑)


今もやっぱり、どこかで「私が正しい」を外に求めています。
まだ、手放せないでいます。
も少し一緒にいたいと思います。

この曲がYouTubeで再生回数が多いのは
みんなさん、共感できる部分が多いから?

わたしたちは、個別の私でありながらひとつにつながっているのが
わかっているのかな。

この難しい曲を、カラオケで歌える日が私に来るのでしょうか。

ぜひ、YouTubeでご覧になってください。
他にもいい曲ありまーす。

ファミリーストーリーの癒し

みなさん、こんにちは~
今日は、冬のさなか生暖かい仙台です。

私の住んでるマンションでは、改修工事をしており建物の周りは足場を組まれ外からみたら真っ暗です。
当然、部屋の中も暗いです。

ベランダに出れない・洗濯物も干せずに不便を感じております。
うちは猫がいるため、窓もおちおち開けられません。(網戸も外した状態です)
ベランダの塗装作業がある日は、ペンキの臭いが部屋中に充満して辛いです。
作業されている方はさぞかし大変ではないのかな。
ペンキの臭い、私は苦手なので作業をしてくださる方に感謝です。

 


では、では本題にはいりますね。
私は定期的にプロのセラピストさんからセッションを受けております。
先日は男性性についてのテーマで取り組んでみました。
男性性においては苦手意識があって、何回かセッションのテーマで取り上げております。
しばらく落ち着いておりましたが、今日は久々のチャレンジ。

セッションを進めていくと、私の男性のベースとなる父のことが出てきます。
男は黙って多くを語らず、大黒柱である父に合わせて家族は動くような家庭でした。
よく言えば物静か、悪く言えば頑固(笑)
絵にかいた昭和初期男子像。
台所には立ちません。
ごめんね、お父ちゃん。


男性性でセッションを進めていくと、
私の男性に対するあるべき姿像やこんなところが嫌だと感じる
イメージが出てきます。
そして、それは父に対する思いにつながっていきます。

あるところまでくると、10代の頃の父がイメージとなって現れました。
父は寒い中薄着で、年配の荒々しいおじさんたちに囲まれもくもくと仕事をしています。

若い父が働く姿をみて私は不憫に感じ、
温かい飲み物を渡し服を着せ、ねぎらいの言葉をかけました。
父が徐々に自分のことを話してくれます。
父は周りのおじさんのキツイ・厳しい言葉に耐えながらも技術を身につけがんばっていることがわかって私はほっとしました。

安心した私はセッションを終えて、
最初にあった男性に対する嫌な思い込みも無くなっていて
おかしくなってセラピストさんと大笑いしました。

私の中の父のストーリーを通じて、抱えていた感情が解放され
男性に対する思い込みも外れていきました。
本当に問題は自分の中で起きているなと感じます。
改めさせるのは、相手ではないのですね。

最後までやさしく導いてくれたセラピストさん、
私に深い愛の気づきをありがとうございます。


父は今、70代なかばになります。
仕事を減らし、今も大工さんを続けています。
私も学生の頃、母と何度か作業している現場に行ったことを思い出しました。
今も父が建てた家に住んでる方は、どれだけいらっしゃるでしょう。
沢山の方の家を建ててきました。
父に建てて欲しいと、ご指名がかかると母から聞いたこともあります。


私は父に対してある恐れがありました。
父の母に対する怒りの感情の表し方についてです。
夫婦のことだし、それが私の中で長年引っかかってました。
その思いも今回のセッションでゆるみました。

父は自分のスタイルを貫くタイプの男性です。
育った時代・家庭環境・持って生まれた資質もあるでしょう。

父は私にとって、とても誇れる存在です。
お父ちゃん、ありがとう。
人間って、表現ひとつでコミュニケーションが変わるのに
不器用に生きてるなと思います。

私の中には、父と母の血が流れていて
それだけではなく両方のご先祖様の価値観や思想も引き継いでいます。
合うものもあれば、合わないものもあります。

ここ何年かセッションを重ねてきて両親をみて感じて理解できたこと。
もちろん、これからも続くでしょう。
ふたりは私のベースです。
このふたりのことが理解できたことは自分自身を理解する上で大きいです。

ふたりの子どもで、あることを嬉しく思います。
たくさんの愛をありがとう。

そんなことが腑に落ちた、あたたかいセッションでした。
今日の冬の温かい日差しのようです。
自分の中の「何か」がまた一段とゆるんでいます。





☆お知らせ☆
万里子さんとジョージさんのワークショップが12月22日(日)に
いわき市で開催されます。

まだ、お席をご用意できるようです。
私も、参加してきます。
詳しくは『ワークショップ』の文字をクリックしてください。
万里子さんのサイトとリンクしております。

ご興味ある方、いわき方面にお知り合いの方がいらっしゃいましたら
ご紹介ください。ご一緒できると嬉しいです。
一緒に愛と調和の喜びに満ちた波動をうけましょう。








 

火をみたくなるストーリー

めっきり寒い仙台です。
そろそろ、タイヤ交換の予約が必要ですね。

オール電化のマンションに住んで12年くらいたちます。
火のない生活をして12年ともいえます。
何かあったときのために「石油ストーブ」は持っていますが、
ほぼ使うことはありません。
お料理もIHなので、日常生活の中で火をみることは減ってきています。

ちょっと寂しいですね。

20代の頃、キャンプした時期もありましたが
面倒くさいが先にたって今はやっておりません。

そんな生活環境のせいか、時々「炎」をみたくなります。

昨日は山形へ出かけてきましたが、道中稲刈りの終わった田んぼで藁を焼く作業をされている方をみかけました。
煙の方がすごいですがあの藁の燃える匂いも、懐かしさを漂わせる匂いで好きです。

火をみたくなるのは私だけじゃないんだなと思ったのは、
YouTubeなどでキャンプしながら焚火を眺めるシーンに人気があると聞いたこと。
自然に囲まれて、心が落ち着くのわかります。

どうして火に対する思い入れがあるのかなと振り返ると小学生のころ、
今のように蛇口を捻ればお湯が出るお風呂ではなく、
薪でお風呂のお湯を焚いていました。
お風呂に水をはって、焚口に薪をくべて燃やしていたんです。
あの頃、不便でしたよ。
本当に今は便利な世の中になったんですね。

若い方には江戸時代の五右衛門風呂のような、
遠い昔を思い浮かべられそうです。
『北の国から』でもそんなシーンがあったような。

当時、お風呂を焚くのが子どもたちのお手伝い項目の一つでした。
上手に火をつけられないと、炎が大きく薪に燃えうつらなくて格闘しました。
寒い時期などは、湿気で火が太い薪に燃え移りません。

観ていたテレビを途中で止めて(録画機能などなかったです)
我慢して、時には文句を言いながらやっていました。
やりたくないと、尚更火が付くまで時間がかかりイライラ。
季節や気温・薪の湿り具合など、考慮してやる作業だったんですね。

沸かしたお湯に保温機能はありませんから、お湯が熱くなったら次ぎ次ぎに交代で入らないと冷めてしまいます。
うちは5人家族だったので最初の人から最後の人までは時間がかかります。
途中お湯が冷めたり、間が空いちゃうとまた寒い場所にあるカマドで火をつけます。
特に寒い季節は、身体も寒いのにそれをやるのが大変でした。
溜まった灰を掻きだしたりもしたな。

その当時嫌々ながらにも、燃えている炎をみて心が落ち着く自分がいたことが思い出されます。
火のパワーというか魅力って何かありますよね。
パチパチと音をたてて、燃える炎をみていると安心感があったような。
炎の暖かさにもほっとしますしね。

一応述べておきますが、火事はこの概念に該当しませんので。
燃えすぎると凶器に変容しますね。

こんな経験があるので今でも温泉に行くと、
温かいお湯が流れてくるのはすごいと思います。
どなたかが温度調整もされて手間がかけられているとは思いますが、
自然の恵みはありがたいですね。

ちなみに、夫の実家はガス風呂だったらしく近くに住むおばあちゃんちが薪のお風呂だったそうです。おばあちゃんちのお風呂焚きは楽しかったそうです。

私も、楽しんでやれば違っただろうなと思います。
同じことをするにも「やらされる」のと、
「楽しんでやる」の違いの差は大きいですね。

こんな風に嫌々やってることって生活の中であります。
例えそれが嫌いなことでもやらなければならないなら、
楽しんでやった方がいいんだなと気づきますね。

セラピーで、この頃の私がでてきたこともあり
やっぱり当時のお手伝いを嫌々やっていました。

今キャンプへ行くことがあるなら、率先して火をつける担当になるでしょう。






いじめと世界平和もセルフラブで解決につなげよう

前回の記事の「いじめ」について。
付け加えておきたいことがありましたので、
よろしければ読んでください。

愛で満たされている人が「いじめ」などするだろうか?
幸せな人が、意地悪なことできるかな?意地悪なこと言うかな?
「いじめる人」の心の中に何かあると思いませんか。
その人は自分の負のエネルギーを相手にぶつけているだけではないのでしょうか。
家の中でおきた嫌なこと、先生や友達にいわれ傷ついたことがあったのかな。
自分自身に何か嫌な出来事が起きたのかもしれません。

人間は自然といろんな感情がでてくる生き物です。
でもその感情を他人に八つ当たりのような感じで、
ぶつける必要はありません。
その感情のケアを知らないから、そのように表現してしまうだけ。
私もやってました。
私も心のこと学ぶまで感情にケアがあるなんて知りませんでした。
意地悪なことを思う自分を責めたりしてきました。
でも、本当はそんな必要なくて自分の気持ちに気づいてあげるだけでよかったのです。

ケアの方法を知って、
自分を自分で満たすことは自分への愛を高めることになります。
自分にやさしさを向けるのは、とても大切なこと。
それが出来るのは、自分。
外に自分の不足感を埋めてくれるものを探しに行って、
それを得たとしてもまた別のものを探しに行く羽目になります。

そのループの繰り返しになってしまいます。

何度も同じことを言って恐縮ですが、
一人一人が自分を満たすことが大事。

自分の中の自分と戦うこと(自己否定)は何の解決にもならないし、
相手を攻撃(いじめ)しても何の解決にもならない。
自分の中の戦争がなければ、他人との戦争もない。
自分と戦う(責める)ことは他人と戦う(責める)こと。
負が負を呼びよせるように、
愛の循環は愛を呼びます。
宇宙の法則は投げたものが返ってくるそうです。

あなたはどちらがいいですか?

「北風と太陽」の物語のように、あたたかさで自分を包みましょう。

いじめや世界平和は身近で小さなところからはじめられます。
一人一人が自分を幸せにすることから、
愛の豊かさを循環させましょう。
地球の環境問題の解決法と似てますね。