HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。

今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。

ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。

自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?


人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。

私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。

心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。

だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。

他には、

妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。

その役割についた、ビリーフも満載でしたね。

逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。

お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。

この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。

専門用語で投影が外れるというやつです。

だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。

そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。

でも、みなさん知らずにやっているはずです。

今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。

この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。

本当にそうですね。

役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。

これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。


どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。

本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。

これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。

こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。