アートマン

HPにお越しいただきありがとうございます。

本日も短く、メモ程度に。


「生きている」とは「呼吸していること」

アートマンの本来の語義は「呼吸」だったらしい。

アートは芸術のこと

アート+人

生きていることは一瞬一瞬がアートなこと?

一瞬ごとのこの呼吸がアート

今・今・今がアートの連続なんて素敵なこと

「ごあいさつ」ページの更新

HPにお越しいただきありがとうございます。

ホントに2月?というくらい暖かい仙台です。

2月10日の夕方だけ雪が降りました。
スタットレスが活躍しました。

今日は私のHPの「あいさつ」ページを新しく書き直しましたので、
もし、よろしかったらご覧ください。
「あいさつ」のところをクリックしてみてください。



心のわだかまり

HPにお越しいただきありがとうございます。

本日の仙台は快晴です。

今日はさくっと、短く書きます。



心をみるようになり、
「星の王子様」ではないけれど
「大切なことは目には見えないんだよ」のセリフが心に響く。


心のわだかまりをみていくと
もともと傍にあった幸せに気づける。

悩み苦しみの多くは幻想。
それに惑わされていたことに気づき、
見えなかったものがみえてくる。

誰かの意見に従っていたり、
誰かを引き合いに出しているうちはまだまだ。

誰かと比べて、自分は幸せな方なんだとか。
これ以上贅沢を言ってはいけないとかいうことでもなかった。

心をちゃんと、丁寧にみていくと
自分が幸せの中にいることに気づける。
私の周りにいる人の幸せにも気づける。

人との付き合いもスムーズに循環する。
他とつながり生きている感じがする。

それが、人として心地よく生きるということなのかもしれない。

心のことを学んで振り返ると、
人に限らず沢山あるエネルギーの関わり合いの中で、
人としてどう生きたら自分は気楽なのか選べるようになってきた。

誰もが自分の世界の主人公。

自分の意思を尊重して選んで生きていけばいい。
それが出来ないとき、私は苦しいのかもしれない。

「家族の中が悪い」ことについて

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は私の好きなTAKUさんが、
Twitterの質問コーナーで回答されていた内容を
シェアさせていただきます。



【質問内容】
「家族の中が悪いのですが、どうすればよくなりますか?
このままでもいいんでしょうか?」

【TAKUさんの回答】
「世の中には家族の中が悪い人たちがごまんといますし、
歴史を見ても王様の後継者争いによる骨肉の争いのお話は枚挙にいとまがありません。
つまり家族の中が悪いというのは、よくある当たり前の姿であり、あるあるなんです。
そこを踏まえた上で、個人と個人の関係として、どうしたいのかを考えて見たらよいんじゃなんでしょうか?」

という内容でした。

TAKUさんのTwitterアカウントは
taku @TakuTakuteto
で検索してみてください。



さすが、TAKUさん。
素晴らしい回答です。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。


家族問題は、カウンセリングにいらっしゃる方の
ほどんどが突き当たるテーマです。

家族と仲が悪くなくても、
親のことはセッションの中にでてくる傾向が非常に高いです。


回答を読んで「そうだな~」と
納得・安心する方も多いと思います。
歴史を知ればわかること。
時代によって、自分の縄張りや種族を残すことは
生物の本能のひとつだと思います。




試しに、私がセッションするならでシュミレーションさせてください。
(変換が「趣味レーション」とでて笑えます。そう趣味です)


悩んでいる方は、「家族は仲が良いのが当たり前」
という思いが前提にあります。

そんなの当たり前じゃないかと声が聞こえてきそうです。
そう家族は仲がいいのが一番。
安心度の高い中で育った方が、心も身体もリラックスしていられます。

でも「当たり前のことなのか?当然のことなのか?」と
問いかけれられればそれは違います。
人それぞれになります。

そこで、うちはどうして仲が悪いのだろうと
自分の心にベクトルを向けてみると。

家族を責めたくなる気持ちがあったり、
仲良くしたい気持ちがあったり何層にも重なって
色々出てくるはずです。

過去のイメージや嫌なシーンもでてくるかもしれません。
そして、その奥にみえなくなっていた怒りや悲しみの感情を
癒してあげるとよいです。
自分に優しさを差し伸べてみてください。

そのあらゆる自分自身の中にあるものを受容してあげると、
あ~お母さんは変えられないな、
お父さんを変えることは難しいなと
何かしら自分の気持ちに変化があるかもしれません。

その上で、ここまでなら許せそう。
これくらいの距離感でなら付き合えそうとか
自分の要望が大概でてきます。

相手を変えようとするのではなく、
自分がこれなら楽でいられそうだという距離を
まずは大事にして下さい。

これがわからないという方は、セッションへどうぞ~

「相手を何とかする・自分を何とかするのは一旦脇におきましょう」
「自分の中にある、思いや感情に気づいて受け止めてあげましょう」
そこが第一段階です。

これはパートナー・子どもなど相手がどなたでも当てはまります。
自分にとって親や家族などの身近な方ほど、
お時間がかかります。

それほど、自分に関わる大切な人たちだから。
ここはじっくりです。

どうぞ、試してみてくださいね。







 

頭と肚

HPにお越しいただきありがとうございます。

昨夜は、雪がチラつき薄っすらと雪化粧。
今日は晴れたり雪が舞ったり寒いです。

思ったことをメモ程度に書きます。


「頭に浮かぶこと・肚に落ち着くこと」

頭に浮かぶことって、
大概不安などを含む思考が多い。
今にいなくて、
妄想に振り回されている感じ。
妄想のくせに本当にパワーがある。


一方でその場に集中できている時は、
やっていること自体を楽しめている。
意識は重心が下に、肚の方に落ち着いてる。

ただその場を感じ楽しんでいる。
自然の流れのままに呼吸し存在しているだけ。

昔は、頭が痛くなるほど悩んでいたな。
それは頭も重くなるわけだ。
頭の中に答えはないことがわかっていても
ぐるぐるするものです。

仕事と遊びの定義

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。

「仕事と遊び」

遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」

お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。

「仕事も遊びのうち」

とってもいい。



映画『2人のローマ教皇』を観て、神とは赦しとは

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は週末に観た映画『2人のローマ教皇』の感想を備忘録として
書かせていただきます。

映画の予告です。

実話に基づいたお話で、キャストは豪華で演技も素晴らしく
脚本・映像申し分ございません。



映画の解説は、映画comより転記させていただきます。

2012年に当時のローマ教皇だったベネディクト16世と、翌年に教皇の座を受け継ぐことになるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿の間で行われた対話を描いたNetflixオリジナル映画。カトリック教会の方針に不満を抱くベルゴリオ枢機卿は、ベネディクト教皇に辞任を申し入れる。しかし、スキャンダルに直面して信頼を失っていたベネディクト教皇はそれを受け入れず、ベルゴリオをローマに呼び寄せる。考えのまったく異なる2人だったが、世界に10億人以上の信徒を擁するカトリック教会の未来のため、対話によって理解しあっていく。ベネディクト16世役にアンソニー・ホプキンス、ベルゴリオ役に「天才作家の妻 40年目の真実」のジョナサン・プライス。


映画COMさん、ありがとうございます。


この映画で面白いと感じた点は、
神に仕える教皇も、あくまで人間であり苦悩を抱えていること。
そのことがヒシヒシと伝わって共感をさそいます。


そして「赦し」について。
徐々にタイプの違う二人がお互いの胸の内を話していく、
対話のシーンは心理セッションと通じるものがあり
興味深いシーンのひとつでした。

神とつながっているとされる教皇でさえ
「神の声が聞こえなくなる不安と怖れ」
「言えずにいた罪を話すことで赦しを受ける様子」
に親しみがわきます。

人は自分が罪を犯したと感じ、
それを誰かに赦して欲しいものなんですね。

でも、それ自分でもできますのでご安心ください。


それから
告白部屋で神父様に村人が罪を告白するシーン。

映画の中ではベルゴリオ神父が、
相手の話をじっと聞かされ辛そうな表情でした。

じっと話を聞くのは相当辛いことです。
セラピストの視点がないと、私ならおかしくなりそうです。
告白する方は、話すことで赦しを乞うことができ
満足するのでしょうか。

経験したことがないから、わからないですね。


私的には告白している方には、セラピーを勧めたくなるし
神父さまには、セラピストの話を聞くコツをお伝えしたくなりました。

その方が、お互いの幸せにつながりそうです。


映画の中では若かりしベルゴリオが神父になるために、
結婚をあきらめるシーンがあります。
結婚を認められないことは、抑圧につながるな~と拝見しておりました。

映画『スポットライト 世紀のスクープ』でも
聖職者の幼児性的虐待が暴かれる作品があります。

この映画の中でも出てくる問題ですが、
この抑圧が「幼児の性的虐待」につながっていると思われます。
生物の本能を無視した、人間のルールは歪んだ形で
現れるのではないのでしょうか。


日本人である私にとって、カトリック教の世界を教えてくれる映画でした。

どこの国にも集合意識があり、そこでの価値観やルールの
中で人は生きていることもわかります。

でも、ベルゴリオ枢機卿のように神父らしくいるよりも
その役割を脱いで、その人らしく自然体で生きたとき
そこに多くの人がその魅力に集まることも教えてくれます。

この映画も時代とともに変化する、
宗教の新しい風を感じる内容でした。

このモデルとなった現、ローマ教皇は11月に日本に
来日されております。
現教皇が映画のモデルになっていること自体
とてもオープンになっていて驚きます。

好き勝手なことをセラピスト目線で書かせていただきましたが、
2人の演技に引き込まれるローマ教皇の素晴らしい映画です。

お時間があればぜひご覧ください。


最後にセラピストから。

思い込みは変えられます。
感情は癒せます。
枠にハマらずに、もっと役割を脱いで自由に生きれます。

私は心のことを学び「神様」に対する概念が変わりました。
機会があれば、そのことも一度お話しさせていただきますね。






 

プロフェッショナル仕事の流儀「魔性の花に魅せられて~育種家・鷲沢幸治~」番組を観て

HPにお越しいただきありがとうございます。

今日は録画しておいた
NHK・プロフェッショナル仕事の流儀
『魔性の花に魅せられて~育種家・鷲沢幸治~』さんの
放送をみての感想を述べさせていただきます。

朝のNHKの番組で小さな枠で鷲澤さんが紹介されていて、
聞いたことある訛りとロマンチックなセリフに興味を惹かれ
ました。
しかも秋田の方ということで忘れないうちに録画を予約しました。

鷲澤さんはダリアの種を育ててらっしゃいます。

数年前に山形にも規模の大きなダリア園があり訪れた際、
種類の多さとそれぞれのダリアの美しさに感動しました。

そのダリア園にも鷲澤さんのお花があったのではないでしょうか。

この鷲澤さん
「花は無くても生きていけるけど、
そこにあるだけで人を喜ばせることができるんだ。
人を喜ばせるってことはその人の人生を豊かにするんだ」
とハートに刺さることをおっしゃいます。

数々の名台詞がご自身の苦労と体験の中から言葉をついて出てきます。

技術もお花農家さんに公開しているそうで、
惜しげもなく教えてしまうところもすごいと思いました。

人生をかけて家族さえも犠牲にして懸命に取り組む姿は、
無農薬りんご農家の木村秋則さんとかぶるものがありました。

パイオニア的な方は、最初はどこでも奇人変人扱いされるんですね。
でも、かっこいいクリエーターです。

こんなにも花を愛する男には、
さぞかし家族との関係もいいのだろうと思いきや、

一緒にお仕事されている次男さんを「若い人」と呼んでいたり、
ダリアに夢中になり家にも帰らず子育ても奥様に任せっきりで、
現在奥様は認知症でそれは自分のせいなんだと
ご自身を責めている感じでした。

鷲澤さん自身の生い立ちは、1歳で養子にだされ養育してくれた家族に対して小さな頃から負い目が常にあったそうです。

ダリアに対する思いも、養育してくれたお母さんと関りがあり涙を誘います。
ダリアに注いだ愛はお母さんへの愛なのかもしれません。

鷲澤さんの家族に対する温かい思いは、ダリアを愛するように
家族にできなかったのか切なくなるところです。

心の仕組みからすると、仕方のないことかもしれません。
家族は大人になっても自分のベースになるものですからとても大切。
この基盤が出来てないと、自分が家族をもっても思うように再現できない
こともあります。
でも、それは一概には言えませんので参考意見として。

番組の中でも不器用ながらも、常に鷲澤さんには奥様や息子さんを思う
気持ちがお互いに感じられます。

番組の終わりではダリアを通じて、息子さんと
みえない愛のやりとりも深まっていました。

愛のカタチは本当に様々ですので、
あらゆる視点から温かくみつめていきたいものです。

例え、子どもの頃に満たされなかった思いや感情があったとしても
年齢に関係なくセラピーで癒すことができますので
必要であればおっしゃってくださいね。


本当に愛に溢れた素敵な番組内容でした。
ダリアに対する思いも深まりました。

ありがとうございます。

再放送は2020年2月4日(火)NHKG午前0時20分~です。
見逃された方、間に合えば是非ご覧ください。







 

『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』LOVE

HPにお越しいただきありがとうございます。

マンションの改修工事も終わりに近づき、
ベランダ側の足場も外れ太陽の光が燦燦と降り注ぎ
気分も明るくなる午後です。


今日はテレ東の番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』
について思うことをかいてみます。
仙台では土曜の午後に放送されて毎週楽しみにしている番組です。

この番組はご存知の方も多いと思いますが、
出川さんとデレクターさん、ゲスト1名の合計3名で
目的地まで電動バイクを充電しながら旅する番組です。

出川さん始めデレクターさんの人柄、
そこに絡むゲストさんたちがとても楽しそうなんです。
一応ゴールを設けて目的地に向かうわけですが、
目的地到着をあまり重要視してない感じでそこに行くまでに
充電させてくれる方たちとのやり取りが温かくて笑えてほっこりします。

多分、出川さんの醸し出す雰囲気がそうさせるのでしょう。
今や、みんなに触られるご利益ある存在です。
数年前の嫌われっぷりは何だったのでしょう?
あの時でさえ、モテてたらしいですからね。

番組をよく見ているとお世話になった方や子どもたちに、
声掛けや心使いをされていて愛される理由がそこにもありそうです。

ここまで人気者になった彼はとても
愛されて育ったんだろうなと予想がつきます。
デブでもおじさんでも全然自分を卑下しません。
ごめんなさい。
何でも、笑いに変えちゃって愛に溢れています。

私も愛の波動を受け取っています。

この番組を観ていると、目的地に到着することよりも
そこに行くまでの人とのふれあいや自然とのふれあいが
大切なことを教えられている気がします。

人生と旅は同じように例えられますからね。

電動バイクの充電も、少しづつしながら先に進みますが
人からもらった心の充電をエネルギーに変換して旅しているようにも感じます。
私たちも、そんな風に生きているように思えます。

旅に出たくなる、番組です。
出川さん、沢山の幸せと笑いをありがとうございます。
これからも応援します。

知らずにこなしている役割

HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。

今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。

ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。

自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?


人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。

私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。

心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。

だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。

他には、

妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。

その役割についた、ビリーフも満載でしたね。

逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。

お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。

この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。

専門用語で投影が外れるというやつです。

だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。

そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。

でも、みなさん知らずにやっているはずです。

今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。

この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。

本当にそうですね。

役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。

これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。


どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。

本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。

これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。

こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。