やるせない気持ちの先にあるもの

こんにちは~

HPにご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は自分が元気な時は忘れていて、気にもしないのだけれど
「いのち」に関わる重要な出来事が起きた時に
現れてくる気持ちについて少しかいてみます。

前回の記事にも書きましたが、時代の流れや、
社会的な影響を受けて私たちは生きています。
昔は今よりはるかに強い集合意識が刻まれていたと思います。
戦争があった時代などは、自分の意思を抑えて集団の中で生きていたのではないでしょうか。

それに加えて自然災害で人が亡くなったり、被災したり、
事故だったり、いのちにかかわる病気になったり、

その出来事の前で人は、起こったことを受け入れ
「あきらめるしかない」のかもしれません。
運命や天命を受け入れるということになるかもしれません。


セルフワークやセッションでも、
感情を癒しても最終的に残る言いようのない感覚。
「そうするしかなかった」という無念さ。
ここを納得するのに、結構時間がかかります。

人が太刀打ち出来ない神の領域。

生命の全体の流れを眺めることは、
自我には理解し難いもの。


自分の存在をちっぽけに感じさせるのに、
全体からみたときに「愛」というやさしさや、
あたたかさで私を救ってもくれる。

この感覚に身を任せた時、余分なチカラが抜ける。

守られていると感じることも確か


だから、泣いても、怒っても、苦しんでも、
悲しんでも、嫉妬しても、笑っててもいいんだと思える。

安心して生きていいことを教えてくれる。
大丈夫。
これが魔法のことばになる。



元々わたしたちは、喜びで生きている存在。
すべてを受け入れ、身をゆだねて生きるしかないんだ。
「いのち」の前に、いつも気づかされる。
だから、泣くだけ泣いたら前に進みたい。

すべての現象を愛しめる「私」でありたい。




父方、祖父の癒し

こんにちは~

今日の午前はプロのセラピストさんからセッションを受けました。
まだ、テーマあるの?と言われそうですがまだあります。

今もセッション前は、心がざわつきます。
何が出てくるか、わからないし心の痛み感じたくないですからね。

それでも思い込みや感情の囚われから解放され、
未知なる自分と出会うためにもセラピーを続けます。
人のことより、自分のこころが大切な今日この頃です。

今日も受けてよかったと思える
あたたかなセッションでした。
記憶が薄れないうちに記載しておきます。


今日のテーマは
「知らない男性にセッションをするのが怖い」
お知りあいの方や知ってる方の紹介ならいいのですが
実際に、面識のない知らない男性にセッションするのに怖れがありました。

セラピストさんから
「知らない男性からセッションの申し込みがきたら?」
と問いかけられイメージすると身体に強い反応がでます。

そこを入り口にセッションが始まりました。

身体の反応する感覚が「男の人はかわいそう・
弱音も吐けない・耐えるしかない・泣いてはいけない
・みじめ」など男性性の中にありそうな弱さを感じる言葉がでてきます。


その思いや感覚を受容しながら進むと、
戦争に行っている男の人たちのイメージが現れます。

その男性たちは家族を残して戦争に行かなければならない辛さだったり、
戦地に行って命令に従わなければならなかったり、
環境の悪いところで、食事も満足にとることもできずに
「国を守るため、家族を守るため」に自分の感情は押し殺して
戦わなければならない辛さみたいなものが出てきます。

この前のブログに書きましたが、私の祖父は戦争に実際行っており
帰ってくることはできたものの父が6歳の時に亡くなっております。
遺影の写真も軍服姿です。

そのエネルギーが祖父から父を通じて私に受け継がれていた
ものかもしれません。

前々から戦争に関する映画やドラマを観るたび、
やりすごしてはいけないような、何かひっかかるものがありました。
ここ数年は悲しい気持ちになるのも嫌で、
戦争映画は極力観ないようにしてました。


もちろん反応の中には、日本人としての集合意識もあると思います。
戦争で多くの人が悲しみに包まれていますからね。

「男だから」という理由で、
強制的に戦争に行かなければならなかった男の人たち。

時代の流れに、逆らうこともできず耐え忍び我慢するしかなかった人たち。

この時代は、男性は強い存在で女性の手前
弱音を吐くことも泣くこともできなかったでしょう。

実際に私の父は、「男は人前で泣いてはいけない」というようなことを昔言ってました。
父の弱音を一度も聞いたことがありません。

おじいちゃんや周りの人たちに「男たるもの、こうあるべき」という
教育を受けたのでしょう。

今の時代とは大違いですね。

出てくる思いや感情を受容していくと、
深い悲しみに言葉も失い涙も溢れます。
気持ちが行ったり来たりするものの、徐々に体感も軽やかになり
戦争に行かれた方への感謝の気持ちも湧いてきます。

でも、最後まで「かわいそう」というやり場のない気持ちが残りました。

そこも丁寧にみていきます。

『この「かわいそう」の奥にあるエネルギーも感じてみてね』とセラピストさんのやさしい声が聞こえます。

「この奥?ってなんだろう」

そう思って感じてみると、イメージの奥に
やわらかな光を感じました。

「小さな光」

でも、それは暗闇の中の灯りであたたかい。
その光に気づくと「かわいそう」と感じているエネルギーをその光で包んであげたくなりました。
そうしてあげると段々とそのエネルギーは軽くなって身体の感覚もほどけてゆきました。

最後は「ありがとう」という言葉さえ消え失せて

宇宙?なのか
宙に浮かんで軽い、何にもない感覚にくつろぐことができました。

この感覚を十分味わってセッションは終わりました。

今回のセッションでは、私の中にあった父、祖父、
日本人にある男性性の集合的な意識を癒すことができたと思います。

私の中には男性は暴力的なところもあるし、弱い面もあると捉えていて
何を考えていて、何をされるかわからない。
相手がどんな人かわからないと信用できないという恐れがありました。
今回それがゆるんで、安心感が強くなりました。


最後のテスティングでは
「男性からのセッションの申し込みがあったら、
私にできる方ならさせていただく」
という思いに変化していました。

実際のところはどうなるかわかりませんが、
セラピーを終えてエネルギーフィールドが変わったことはわかりました。


この男性性については、本当に長いこと私のテーマでしたので
徐々に女性性と統合されつつあり大きな荷物を降ろしていくような
解放感があります。

自分自身の変化に、今後も楽しみです。

お付き合いくださったセラピストさん
ありがとうございます。

心より感謝申し上げます。














 

King Gnu『白日』

こんにちは~

紅白にも出場されたKing Gnuの『白日』を聴いて刺激されることを少し書いてみます。

曲を作る方、特に作詞される方は「言葉」を操るプロだと感じているのですがこの曲もその一つ。
何度聴いても、いろんな意味に気づけるすごい歌詞です。
天才です。
観るたびに、気づくことが多い映画みたい。

それに加え、メロディーも歌声も素晴らしい最高の曲。



この曲ひとつから、「こんな自分いた~ いる~ わかる~ 」と
色々な顔を持った自分のストーリーが展開されていきます。

どちらかというと人間臭い、ブラックな自分。
それにしても、罪悪感って根強いなと感心します。

この感覚がわかる自分のこと、昔なら嫌だと思っていたけど、
今ならこれもいいよねと認められるようになりました。

この感覚を抑え込んだり、自分の悪いところだとジャッジして何とかしようとしてたな~と気がつけます。


個人的には冒頭の歌詞で

『今の僕には 何ができるの?
何になれるの?
誰かのために 生きるのなら
正しいことばかり
言ってらんないよな』

King Gnu 『白日』(作詞:常田大希)より引用

のくだりが、一番ぐさりときます。
承認欲求が強いわたしとしては、この歌詞は耳が痛いです(笑)


今もやっぱり、どこかで「私が正しい」を外に求めています。
まだ、手放せないでいます。
も少し一緒にいたいと思います。

この曲がYouTubeで再生回数が多いのは
みんなさん、共感できる部分が多いから?

わたしたちは、個別の私でありながらひとつにつながっているのが
わかっているのかな。

この難しい曲を、カラオケで歌える日が私に来るのでしょうか。

ぜひ、YouTubeでご覧になってください。
他にもいい曲ありまーす。

ファミリーストーリーの癒し

みなさん、こんにちは~
今日は、冬のさなか生暖かい仙台です。

私の住んでるマンションでは、改修工事をしており建物の周りは足場を組まれ外からみたら真っ暗です。
当然、部屋の中も暗いです。

ベランダに出れない・洗濯物も干せずに不便を感じております。
うちは猫がいるため、窓もおちおち開けられません。(網戸も外した状態です)
ベランダの塗装作業がある日は、ペンキの臭いが部屋中に充満して辛いです。
作業されている方はさぞかし大変ではないのかな。
ペンキの臭い、私は苦手なので作業をしてくださる方に感謝です。

 


では、では本題にはいりますね。
私は定期的にプロのセラピストさんからセッションを受けております。
先日は男性性についてのテーマで取り組んでみました。
男性性においては苦手意識があって、何回かセッションのテーマで取り上げております。
しばらく落ち着いておりましたが、今日は久々のチャレンジ。

セッションを進めていくと、私の男性のベースとなる父のことが出てきます。
男は黙って多くを語らず、大黒柱である父に合わせて家族は動くような家庭でした。
よく言えば物静か、悪く言えば頑固(笑)
絵にかいた昭和初期男子像。
台所には立ちません。
ごめんね、お父ちゃん。


男性性でセッションを進めていくと、
私の男性に対するあるべき姿像やこんなところが嫌だと感じる
イメージが出てきます。
そして、それは父に対する思いにつながっていきます。

あるところまでくると、10代の頃の父がイメージとなって現れました。
父は寒い中薄着で、年配の荒々しいおじさんたちに囲まれもくもくと仕事をしています。

若い父が働く姿をみて私は不憫に感じ、
温かい飲み物を渡し服を着せ、ねぎらいの言葉をかけました。
父が徐々に自分のことを話してくれます。
父は周りのおじさんのキツイ・厳しい言葉に耐えながらも技術を身につけがんばっていることがわかって私はほっとしました。

安心した私はセッションを終えて、
最初にあった男性に対する嫌な思い込みも無くなっていて
おかしくなってセラピストさんと大笑いしました。

私の中の父のストーリーを通じて、抱えていた感情が解放され
男性に対する思い込みも外れていきました。
本当に問題は自分の中で起きているなと感じます。
改めさせるのは、相手ではないのですね。

最後までやさしく導いてくれたセラピストさん、
私に深い愛の気づきをありがとうございます。


父は今、70代なかばになります。
仕事を減らし、今も大工さんを続けています。
私も学生の頃、母と何度か作業している現場に行ったことを思い出しました。
今も父が建てた家に住んでる方は、どれだけいらっしゃるでしょう。
沢山の方の家を建ててきました。
父に建てて欲しいと、ご指名がかかると母から聞いたこともあります。


私は父に対してある恐れがありました。
父の母に対する怒りの感情の表し方についてです。
夫婦のことだし、それが私の中で長年引っかかってました。
その思いも今回のセッションでゆるみました。

父は自分のスタイルを貫くタイプの男性です。
育った時代・家庭環境・持って生まれた資質もあるでしょう。

父は私にとって、とても誇れる存在です。
お父ちゃん、ありがとう。
人間って、表現ひとつでコミュニケーションが変わるのに
不器用に生きてるなと思います。

私の中には、父と母の血が流れていて
それだけではなく両方のご先祖様の価値観や思想も引き継いでいます。
合うものもあれば、合わないものもあります。

ここ何年かセッションを重ねてきて両親をみて感じて理解できたこと。
もちろん、これからも続くでしょう。
ふたりは私のベースです。
このふたりのことが理解できたことは自分自身を理解する上で大きいです。

ふたりの子どもで、あることを嬉しく思います。
たくさんの愛をありがとう。

そんなことが腑に落ちた、あたたかいセッションでした。
今日の冬の温かい日差しのようです。
自分の中の「何か」がまた一段とゆるんでいます。





☆お知らせ☆
万里子さんとジョージさんのワークショップが12月22日(日)に
いわき市で開催されます。

まだ、お席をご用意できるようです。
私も、参加してきます。
詳しくは『ワークショップ』の文字をクリックしてください。
万里子さんのサイトとリンクしております。

ご興味ある方、いわき方面にお知り合いの方がいらっしゃいましたら
ご紹介ください。ご一緒できると嬉しいです。
一緒に愛と調和の喜びに満ちた波動をうけましょう。








 

火をみたくなるストーリー

めっきり寒い仙台です。
そろそろ、タイヤ交換の予約が必要ですね。

オール電化のマンションに住んで12年くらいたちます。
火のない生活をして12年ともいえます。
何かあったときのために「石油ストーブ」は持っていますが、
ほぼ使うことはありません。
お料理もIHなので、日常生活の中で火をみることは減ってきています。

ちょっと寂しいですね。

20代の頃、キャンプした時期もありましたが
面倒くさいが先にたって今はやっておりません。

そんな生活環境のせいか、時々「炎」をみたくなります。

昨日は山形へ出かけてきましたが、道中稲刈りの終わった田んぼで藁を焼く作業をされている方をみかけました。
煙の方がすごいですがあの藁の燃える匂いも、懐かしさを漂わせる匂いで好きです。

火をみたくなるのは私だけじゃないんだなと思ったのは、
YouTubeなどでキャンプしながら焚火を眺めるシーンに人気があると聞いたこと。
自然に囲まれて、心が落ち着くのわかります。

どうして火に対する思い入れがあるのかなと振り返ると小学生のころ、
今のように蛇口を捻ればお湯が出るお風呂ではなく、
薪でお風呂のお湯を焚いていました。
お風呂に水をはって、焚口に薪をくべて燃やしていたんです。
あの頃、不便でしたよ。
本当に今は便利な世の中になったんですね。

若い方には江戸時代の五右衛門風呂のような、
遠い昔を思い浮かべられそうです。
『北の国から』でもそんなシーンがあったような。

当時、お風呂を焚くのが子どもたちのお手伝い項目の一つでした。
上手に火をつけられないと、炎が大きく薪に燃えうつらなくて格闘しました。
寒い時期などは、湿気で火が太い薪に燃え移りません。

観ていたテレビを途中で止めて(録画機能などなかったです)
我慢して、時には文句を言いながらやっていました。
やりたくないと、尚更火が付くまで時間がかかりイライラ。
季節や気温・薪の湿り具合など、考慮してやる作業だったんですね。

沸かしたお湯に保温機能はありませんから、お湯が熱くなったら次ぎ次ぎに交代で入らないと冷めてしまいます。
うちは5人家族だったので最初の人から最後の人までは時間がかかります。
途中お湯が冷めたり、間が空いちゃうとまた寒い場所にあるカマドで火をつけます。
特に寒い季節は、身体も寒いのにそれをやるのが大変でした。
溜まった灰を掻きだしたりもしたな。

その当時嫌々ながらにも、燃えている炎をみて心が落ち着く自分がいたことが思い出されます。
火のパワーというか魅力って何かありますよね。
パチパチと音をたてて、燃える炎をみていると安心感があったような。
炎の暖かさにもほっとしますしね。

一応述べておきますが、火事はこの概念に該当しませんので。
燃えすぎると凶器に変容しますね。

こんな経験があるので今でも温泉に行くと、
温かいお湯が流れてくるのはすごいと思います。
どなたかが温度調整もされて手間がかけられているとは思いますが、
自然の恵みはありがたいですね。

ちなみに、夫の実家はガス風呂だったらしく近くに住むおばあちゃんちが薪のお風呂だったそうです。おばあちゃんちのお風呂焚きは楽しかったそうです。

私も、楽しんでやれば違っただろうなと思います。
同じことをするにも「やらされる」のと、
「楽しんでやる」の違いの差は大きいですね。

こんな風に嫌々やってることって生活の中であります。
例えそれが嫌いなことでもやらなければならないなら、
楽しんでやった方がいいんだなと気づきますね。

セラピーで、この頃の私がでてきたこともあり
やっぱり当時のお手伝いを嫌々やっていました。

今キャンプへ行くことがあるなら、率先して火をつける担当になるでしょう。






いじめと世界平和もセルフラブで解決につなげよう

前回の記事の「いじめ」について。
付け加えておきたいことがありましたので、
よろしければ読んでください。

愛で満たされている人が「いじめ」などするだろうか?
幸せな人が、意地悪なことできるかな?意地悪なこと言うかな?
「いじめる人」の心の中に何かあると思いませんか。
その人は自分の負のエネルギーを相手にぶつけているだけではないのでしょうか。
家の中でおきた嫌なこと、先生や友達にいわれ傷ついたことがあったのかな。
自分自身に何か嫌な出来事が起きたのかもしれません。

人間は自然といろんな感情がでてくる生き物です。
でもその感情を他人に八つ当たりのような感じで、
ぶつける必要はありません。
その感情のケアを知らないから、そのように表現してしまうだけ。
私もやってました。
私も心のこと学ぶまで感情にケアがあるなんて知りませんでした。
意地悪なことを思う自分を責めたりしてきました。
でも、本当はそんな必要なくて自分の気持ちに気づいてあげるだけでよかったのです。

ケアの方法を知って、
自分を自分で満たすことは自分への愛を高めることになります。
自分にやさしさを向けるのは、とても大切なこと。
それが出来るのは、自分。
外に自分の不足感を埋めてくれるものを探しに行って、
それを得たとしてもまた別のものを探しに行く羽目になります。

そのループの繰り返しになってしまいます。

何度も同じことを言って恐縮ですが、
一人一人が自分を満たすことが大事。

自分の中の自分と戦うこと(自己否定)は何の解決にもならないし、
相手を攻撃(いじめ)しても何の解決にもならない。
自分の中の戦争がなければ、他人との戦争もない。
自分と戦う(責める)ことは他人と戦う(責める)こと。
負が負を呼びよせるように、
愛の循環は愛を呼びます。
宇宙の法則は投げたものが返ってくるそうです。

あなたはどちらがいいですか?

「北風と太陽」の物語のように、あたたかさで自分を包みましょう。

いじめや世界平和は身近で小さなところからはじめられます。
一人一人が自分を幸せにすることから、
愛の豊かさを循環させましょう。
地球の環境問題の解決法と似てますね。





フィンランド教育といじめと心のしくみ

先日心理セラピスト養成講座で一緒に学んだお友達がFacebookでマイケル・ムーア監督のフィンランド教育に関する動画をシェアしていました。
いつも素敵なシェアをありがとうございます。

動画を拝見して、日本の教育と大分違っていて大変驚きました。
宿題を出さずに、遊ぶ時間を充実させていたり、授業時間が週20時間だって。
椅子に座って教科書で学んできた私の時代とは大違い。

接骨院に来る学生さんは重い教科書を背負って来ます。
学校以外でもほとんどの子が塾通い。
学校の先生とお話すると、重圧が高く大変そう。
フィンランドでは子どもたちも先生も楽しそうでした。
「学校は幸せをみつけるところ」だそうです。
日本の教育もこんな風になること望みますね。
ぜひ、ご覧ください。
https://youtu.be/qK20_-MDJYc


この動画をみてから、別のフィンランド教育を拝見したところ。
なんと、フィンランドでもいじめがあるらしい。
これには少し驚きました。
3年前の動画なので今は定かではありませんが、
子どもたちのやりたい気持ちを優先させのびのびと教育していても、
いじめはあるんですね。

https://youtu.be/iqG4fSLnUkQ


おさかな博士で有名な「さかなクン」のいじめの話も思い出しました。
https://www.asahi.com/articles/ASH8Z517SH8ZUEHF00D.html

さかなくんの話から予測すると生物の本能として、
いじめは生態系の中に組み込まれたものなのかもしれません。

フィンランドのいじめ対策はインターネットを使って、お互いの気持ちをシュミレーションして客観視することで当事者でなくても傍観者としてどうするかということを考えるようでした。
こちらの対策で4割もいじめが減ったそう。
こういう取り組みも素晴らしいですね。

心理セラピストとしてはもうひと押し。
外側の世界で起きていることを、自分の内側ではどう感じているのか気づくという習慣を身につけて欲しいです。感情を十分に感じてもらいケアの仕方があること。同時にそれは自分のフィルターを通して外側をみている投影であることを伝えたいですね。心のしくみに脳の働きも加えて世界の共通認識になったら嬉しいです。

子どものうちからこのような教育があったらいいですね。
心のしくみを学び、自分自身を大切にする。
相手のことも理解・尊重できる。
それが世界平和につながる一歩であることを信じています。

一人でも多くの方に心のしくみを知って欲しいです。
子どもを育てる大人にも学んで欲しいです。
欲を言えば、生きてる人全員に(笑)
それを伝えていく講座を今後検討しておりますので、
その時はぜひ一緒に学びましょう。

それから、「脳を休ませることは大切だ」とフィンランドの先生話してましたね。
大人も同じ。
積極的に休ませましょう。

悲しみから歓びにつなげよう

昨日8月6日は広島に原爆が投下された、とても悲しい日。
犠牲に合われた方々のご冥福をお祈りいたします。

戦争は今の幸せが人々の犠牲の上にあることに気づかされます。
幸せを求めるあまりに、人が人の命を奪う恐ろしい行為。
それにまつわる家族の思いがTVで流れておりました。
私がみた映像は妹さんを亡くしたお兄さんのお話。
妹さんの日記を紹介するお兄さん。
お兄さんの無事を祈ることが記されていて、
二人の仲の良さが伝わってきます。


一方で昨夜来た女性の患者さんは、
20年も飼ってた猫が先週亡くなり
寿命だとわかっていてもこんなに悲しいもんなんですねと寂しそう。
いつもの笑顔は少なくて、生前のかわいいその子の写真をみせてくれました。

人、ペット、戦争、寿命にとらわれることなく
私はどちらの方の気持ちも、とても共感できます。
こんなにも悲しくなるほど、人を愛したペットを愛した。
愛おしく思える存在があった。
愛し愛され、幸せな関係だったと思います。

点でみると悲しい出来事なのですが、
この悲しみがあること、経験があることで人はまたよりいっそう生命に優しくなれるのではないでしょうか。

この悲しみを原動力に。

人の心に厚みがでるんだと思います。

TVで拝見したお兄さんは、高齢の方で広島平和記念館資料館で戦争の悲惨さを次の世代へ 語りつぐお仕事をされているそうです。

ペットの飼い主さんは、又猫を飼おうかなと迷っている様子でした。

それぞれが、それぞれの体験を通して湧いてくるエネルギーを受容、別のエネルギーに変容して生きていくんだと思います。

愛は時に厳しく、優しく、切なく残酷だったり、慈愛に満ちていたりあらゆる要素を含んでいます。

感情を味わうことで、その感情に振り回されることなく歓びにつなげて生きたいですね。



子どもが教えてくれること②

先週のブログで紹介した男の子の動画です。
NHKで私が見た動画とは違いますが、
多分この子です。
有名なお子さんなんですね。

白バイがリアルで、カッコイイ(笑)
警察官もとても嬉しそう。

前回の記事でも少し触れましたが、この自分自身が好きとか心地いいとかリラックスしているとかワクワクする、楽しいなどのポジティブな感覚は自分を癒す中でとても、とても大切な感覚です。

私自身が陥ったことなのですが、ある程度ワークが進んでいくと知らず知らず癒されつつも苦しくなる時期がありました。
いつの間にか、あれも癒そうこれも癒さねばとワークネタを探しつつある意味自分のダメなところ探しになっていたようです。
あれ、おかしい。苦しいけど(笑)

そんな時、自分がどうありたいのか自分軸の視点、
自分のわくわくや好きの感覚に焦点を当てた思考、
宇宙的な視点をとり入れることで軌道修正されました。
そういう学びを深めるセミナーに参加したり動画をみたりブログを読んだりしました。
ポジ・ネガ両方の観点が生きていく上でとても大切なことを実感しました。
ちょっと目を離すと、シリアスさんオンリーになりがちな私です。

セッションではついつい、ネガティブに視点を当てていくので重苦しくなりがち。もちろん個人差もあります。
真面目な方ほど陥る傾向が強いかもしれません。

参考までに身体の施術でも、早く良くなる方の傾向として楽になった個所に意識を向けている方ほど回復が早いように感じます。

セッションでは、重たい感覚を感じながらも良い感覚にも意識を向け進めていきますね。
それから、クライエントさんも日常の中で自分の好きなものや、楽しいこと探しをして良い感覚を感じることをオススメします。

自分の好きな感覚、嫌な感覚。
それを知っているのはあなたです。

神様だって宇宙だって知らないです。
自分の中にアンテナを張って生きましょう。

ピコピコ

 

子どもが教えてくれること

今朝、NHKをみていると海外の動画投稿で4,5歳くらいの男の子がお年寄りの施設に警察官の格好でミニパト(上半身がでる子どもの乗り物)に乗って登場。お年寄り一人一人にハグする様子が流れていました。
何て、微笑ましい。
純粋にその子は、警察官が好きみたいでそこにいる方たちにハグする姿がかわいかったです。
みんな笑顔。
定期的に行くらしいです。
こういう投稿いいですね。

私の職場では院長先生のお孫さんがよく遊びに来てくれます。
最近は、1歳も過ぎ歩き始めました。
よちよちと。
とってもかわいいのね~
家族も患者さんも、その場にいる人みんな歩くだけで拍手。
本人も満足げ。
子どものパワーすごい。
ただ居るだけで癒されます。

子どもは光の存在というけれど、実感しますね。
この和むとかリラックスする楽しいという感覚大切にしたいです。

どうしても悩みを抱えてしまうと、重たいエネルギーになりがちです。
警察官の子どものように無邪気で純粋な気持ち忘れたくないですね。
そして、そのまま行動していることも素晴らしいし両親も理解とユーモアがあって最高。
大切なこと教えてもらった気がします。



それから、小さな子どもは身体の使い方も先生なんです。
上手に足指を使って立ちます。
慢性的な腰痛の方は、足指を使えてない方が多いです。
フェルデンクライスでも、寝た状態から子どもが歩き出すまでの工程は身体の使い方のお手本とされております。
身体の歪みも立ち上がる工程で、治していく動作につながります。

ぜひ、こちらも観察してみてくださいね。