当たり前の幸せの中にある思いに気づこう

先日給湯器が壊れて、自宅のお風呂が使えなくなりました。
震災以来の出来事です。
車で近くの銭湯まで行きお風呂に入れる幸せをかみしめました。
温泉に入るなら源泉かけ流しにこだわる私ですが、
そんな贅沢は言ってられません。
普段鼻につく塩素の臭いさえ、清潔感が保たれていいものだと解釈が変わります。
蛇口を捻ると温かいお湯が出て身体を洗い、お湯に浸かれる幸せ。
日々便利な生活をしていると 当たり前にしていることが、
自分の感覚を麻痺させているなぁと改めて気づかされました。
自ずと水さえも、コマ目に出して使いました。

この当たり前のことほど、自分が見逃していること多いなと思います。
人間関係で不満に感じている人を通して、ワークしますが誰かを批判している時は自分の中にわかって欲しい、認めてほしい満たされていない欲求が隠れています。
表向きは相手を批判しながら、自分の心の奥底にはわかって欲しい本音があるのです。

例えば、旦那さんが料理を黙って食べる。
料理を作った奥様は「何か言ってよ」と、でも奥様の本音は「忙しいなか作ったのに何も言ってくれない。私のこと、なんだと思っているの。どうでもいいんだ、寂しいな」など。
そのように自分の心の中を見つめていきます。

最近ワークしていてこの、文句を言える幸せっていいなと思えるようになってきました。
平和な暮らしが当たり前にあるからこそ、文句もでるんですよね。

こちらの解釈で相手に対して文句を言えて気づきを得られる。
そして自己愛が高まって、スッキリいい感じになるってね。
ありがたいです。
相手がいるからこそ教えてもらえる気づき。

私の勤め先では、お話を伺いながら施術するのですが結婚願望がありパートナーを探している方、片や結婚していてパートナーの悪口を言ってる方。
面白いですよね。
パートナー探しをしている人にとっては、パートナーの悪口は自慢話ですよね。
でも人それぞれなので、何を言うのかは自由。
個別に思いがあって当然だと思います。
でも視点を変えると自分の幸せには当たり前すぎて気づいていなかったりするものなんですよね。

自分の心を知ると、自分にやさしくなれて人にも優しくなれるみたいです(笑)
だからって、心穏やかニコニコをキープしているわけではないですよ。
私も時間かかりましたが、こんな風に思えるようになりました。
成長を感じます。

いつもの場所、過ごす人は変わらないのに自分の心が変わると・・・

本当に世界は自分で創っているということがわかりますよ。



 

だんだん、不真面目になっている?

こんにちは。
いつも記事をお読みいただきありがとうございます。

私自身もセッションを受けて、変化していますシリーズを今日も一つ。

いつ頃からなのか思い出せませんが段々、不真面目になっております(笑)

だいたい、真面目とは何でしょうね?
人によって概念は違うし、シーンによっても使い分けがでてきますね。

私の概念は、
言われたことをきちんとやる。
約束は守る。
責任をもつなどでしょうか。
誠実で任せられる信頼できるイメージですね。
でも一方では、融通がきかないお堅いイメージもあります。

子どものころにいつの間にか、「良い子=真面目でなければならない」
というルールを身につけていたんです。
道徳的な人を目指してましたので。
怒られないよう自分を抑えて、合わせて我慢していたという感じですかね。

愛を獲得するための承認欲求というヤツです。

セッションを重ねていくと、まぁ自分が緩んでいくんですよ。
思考が緩むと、身体も緩むんですよね。
真面目じゃないから真面目を目指していたんじゃないかなと気づきましたよ。


生まれて間もない真面目な赤ちゃんはいませんよね。
これも成長の過程で身につけた価値観ですね。
資質として備え持った性格や、社会でみんなと円滑にやっていくためにはそれも必要なことなんですが自分がその思いを持っていて窮屈ならみてみるのは自分の心。
当たり前のことほど、自分と同化していて気づきにくい価値観なので要注意です。

いつの間にか正義を貫くみたいになって自分が苦しかったり、
真面目にやってないように見える相手を責めたり。

勿論、私も自分の役割や状況により真面目にやっております。
以前と比べると、余計な力みが抜けて楽になってきました。

ただ、気をつけないとすぐに深刻になりやすいです。
すぐ、シリアスさんが顔を出します。
そうなると「ねばならない」も顔を出してくるので、
窮屈な私が舞い戻る。

まあ、心のことを学んでも色んな私がいて時と場合
状況によってお天気のごとく心模様も忙しいものです。
それを繰り返しながら、自分育てをしている感じです。

肩こりや腰痛が辛い方にも、時には心の面から自分をケアするご提案をします。
人様の体に触れているとわかります。
身体はあなたを物語ってくれてますよ。
それに気が付いてあげて下さいね。

 

「とりあえず、やってみる」が増えた

続きになりますが、私自身がセッションを受けて変わったことの一つに
以前より行動的になりました。

「とりあえず、やってみる」が増えました。
頭の中で、想像する→無理だな→やらないが 、
「とりあえず、やってみる」に変化。
小さいことなら「とりあえず」連絡だけしてみよう、
ここだけ掃除しておこう、行くだけいくかなど。

それに伴い、頭に浮かんでくる悩みの内容にも変化が。
あんなに過去に囚われていたのに、その思いは癒され自然と解放されて
より 現実的な悩みに変化しつつあります。

自分の「どうしたい」という気持ち、
それをするための、より具体的な行動への作戦。


「この思いを抱えているの嫌だから、
無理かもしれないけれど思い切って話してみよう」など。
思う→行動につながる。
その思いの通りに行動すると、身体感覚が軽くなります。

地に足ついて生きていくとは、こういうことなんですね。

凄いです、自分を大切にするって。
自分に嘘はつけなくなる。


そこで、ご報告です。
なんだかじっとしていられなくなってしまい、
ワークショップを開催することにしました。

内容はボディーワークのフェルデンクライスと、
心理セラピスト・星野万里子さんのワークと
ジョージさんの癒しの楽器・ソウルサウンドライアー の3コラボです。
私の好きを集めました。

この3つのワークについての詳しいことは改めて書きますね。

普段のおじゃべりな思考から離れて、
わたしに還る静かなひと時を体験していただけると思います。

私の初企画、初主催。
司会進行もしたことないので、私にとってはチャレンジです。
皆さんのお力を借りての挑戦になります。

ピンときた方はぜひ来て欲しいです。

ちょっと先になりますが、11月の休日の予定です。
詳しいことが決まりましたら、ご報告させていただきますね。

「あなたの中のLiveを感じてみよう」

かっこつけたけど、ただただリラックスしましょう~

みんなでゴロゴロWS開催します

では、また~

月々の生命保険とセラピー

自分自身がセッションを受けるようになって変わってきたことは沢山ある。
他の人が私をみてもわからないと思うけど、自覚がある。

こんな風に自分のことを発信していることも、そのひとつ。
セラピーを受ける前までは、人の影に隠れて生きてきたように感じる(笑)
人に合わせて生きて、文句を言ってた方が楽だったのだ。
でも、人に合わせるのは疲れる。
だって自分の意見があるから。
それを自分に我慢させるから。
発言するなら、自分で責任を持たなければいけなくなる。
直接なんて話せない、嫌われるもの。
嫌われたら、私を助けてくれる人はいないのだ。

そんな思いがあったこともセラピーで気づいた。

こう書いてしまうと、言われっぱなしの我慢の人だったの?
と言われれば、そうは見えない方です(笑)
そう見えない私の中にも、そういったところがありました。

そこには悪い人も、悪い自分もいなかった。
慈愛がいつも、ともにあった。

それらの我慢していた思いが、言葉を通さずに身体に溜まる。

ちらかった部屋の状態と一緒。
「あなたの心の状態が、部屋の状態」と聞くけれど本当にそう。
ちらかっているのは、私のこころなのだ。

きれいな部屋でさえ、お掃除しなければホコリがたまる。

メンテナンスが必要になる。

セッションを受けるとマッサージされたように、体が緩む。
そして、心が軽くなる。
面白い。

月々・ 生命保険をかけるのも大切だけど、
心の健康度をあげることに時間とお金を費やすのは悪くない。
この選択は、心身ともに健康的に生きていけるはず。
多分、たとえ病気を抱えてても自分の気持ちを理解できることで不安に飲み込まれないでいられる。
そして心の健康度があがれば、もっと本質のわたしの声とひとつになれる。
自分の軸が太くなる。
そんな世界があった。
わたしの「やりたい・好き」が増えていく


お義母さん心理セラピー始めます

昨日は夫と私の実家へ行きました。
ランチは夫の両親と震災後、新しくなった新地駅のそばに最近できたホテルに
併設された温泉施設へ。
今回は食事をするだけでしたが、最新のシステムに驚きました。
入場から注文や清算まで電子システムが導入され
年配の方は慣れるまで大変そう。
時代の流れを感じますね。

それはさておき、お義母さんと珍しく二人きりで車で移動することになり
何気ないお義母さんの話から心理セラピーを薦めることに。

「お義母さん、その話大切な自分の気持ちだから我慢しない方がいいよ。
心理セラピーは病気になった人だけが受けるものではないし、プロに話すのは茶飲み話とも違うから。気持ちの整理にもつながるから旅行に行ったり美味しいもの食べて楽しむのと同じように時間とお金を使ってみたら」と。

そしたらお義母さん、「受けてみようかしら」と。
あれ?なんかとってもスムーズ
ちなみにお義母さんは78歳。
終活されているのか家の中や身の回りを整理し始めている様子。
もちろん私は家族なので心理セラピストさんを紹介します。

心理セラピーを受けること学ぶことに年齢は関係ありません。
心の終活にもつながるはず。
私だって死ぬ前に、念を残したくないです。
素敵な選択をしたお義母さんにエールを送りたいです。

お義母さんはオンラインはちょっと無理ということで、
電話で受けることに。
耳が少し遠くなり心配な点はありますが、
福島で同じ活動されていて安心フォールド感の高い
心理セラピスト・星野万里子さんを紹介しました。
お義母さんは真面目な人で、優しい人。
どんな世界が開いていくのか、心理セラピーの面白さを知っている私は楽しみです。
お義母さんが私の話に耳を傾けてくれたことも嬉しかったです。

さまざまな価値観がいつの間にか私たちに染みついて、
苦しみの元になっていたり。気持ちを抑圧(我慢)させていたり。
ただ、自分の心の声に気づく、感じるを自分で知る体験する。
ただ、それだけのこと。

心理セラピーも時代の流れに伴い、
年齢や条件をともなわず誰でも当たり前~
の日本になって欲しいです。
私もその一役を担えることは嬉しいです。

電気グループの

私の独り言。

ピエール瀧さんが仮釈放された姿を録画してた「ワイドなショー」でみた。
スーツ姿で深々と頭を下げていた。
いつものイメージとかけ離れた、役割を脱いだ年相応の普通の人。

ポンキッキからのイメージでいい役者さんだと思ってた。
何でもかんでも病気という呼び方をするのは好きではないけれど、
これも病気みたいなものなんだろうなと思う。
病気までいかなくても依存症。
程度の差はあれ買い物・酒・ギャンブル依存症と変わりない。

病気と捉えた時、「病気にかかってごめんなさい」とは謝らない。
むしろ気の毒がられたりする。

「皆さんにご迷惑をかけて申し訳ございません」の謝罪。

止めたくても止められない、日常になっていたのだろう。
何かから逃げる手段の一つだったのかもしれない。

こんな時は、潜在意識にはたらきかけるカウンセリングやセラピーを受けて
愛に気づいて自分を取り戻してほしいなと思う。

子どもは授かりもの

不妊治療をしていた時期が13年ほどあります。
結婚して、そろそろ子どもが欲しいと思っていたら妊娠。
早速病院へ行ってみると妊娠反応はでるものの、
胎児らしきものが子宮にうつりません。
明らかにおかしいのです。
しばらく様子をみて、子宮外妊娠とわかりました。
子宮に着床するはずの受精卵が卵管に着床してしまったのです。
そこで成長することはなく、初めての妊娠は
肉体的な苦痛と精神的な悲しみを伴う結果となりました。

初めての産婦人科の印象は冷たい診察台に、ベテラン男性医師の診察。
怖かったな全てが。

あの時の私に
「よく頑張ったね。一人で怖かったね、不安だったね」と声をかけたいと思います。

やっきになった不妊治療、今みたいに心理セラピーがあることも知らず
うまくいかない焦りと、不安を抱えてました。
潮時のタイミングはいつなのか、悩んだ日々。
今ならやみくもに治療をする前に、自分の心を先にみるでしょう。

自分がセッションを受けるようになってから、その思いを癒すこともありました。
ある日セッションで「誰が子どもを授けるの?」という質問がありました。
私の答えは「神様」
呼び方は何でもよいのですが神、宇宙、大いなる意識。
バイロン・ケイティでいえば「神の領域」
「自分の領域」ではないのです。

子どもは授かりもの。
精子と卵子が受精して順調に受精卵になったとしてもそれが着床して、
お母さんから産まれるまですごいことなのです。
材料が揃っていても、料理みたいに出来上がらないのです。

親友が、「子どももご縁だからね」といった時
私の中で何かが弾けました。
「あっそうだ。縁は無理につくるものでなく、自然とやってくるものだった」と。

この経験から「いのち」の不思議さと、みえないチカラに身をゆだねて生きていくということを受け入れたような気がします。

自分が在ること、ご縁があることに感謝。

 

家族の意識

お墓参りの時期ですね。
それにちなんで、家族から受け継ぐ意識についてお話します。

私を認識できるものとして思考、感情、体感があります。
セッションでは苦しみを感じている私をみていくわけですが、
そこには大抵、家族の観念が徐々にでてきます。
「こうあるべき・こうしなければならない」などの家族のなかのルール。
養育段階で赤ちゃんはその家族の教えに導かれ育ちます。
大抵ご先祖様から受け継ぎ、おじいちゃん、おばあちゃん、両親から私へと。
家族の教え=観念や信念。
見える部分では顔や骨格、声、話し方などを受け継ぐように見えない部分も受け継ぎます。

その信念が自分に合うとは限りません。
当然合わないものもでてきて、そう出来ない自分を責めたり苦しみを生む元になったりします。
この信念、結構根強いです。
セッションではそんなところも、でてきます。
ちゃんとその思いをきいて、感情を受容し癒すことでその思いの呪縛から解き放たれます。

その思いを癒すことは、ご先祖様の思いも成仏させることに似ているのかなと感じることがあります。

unlearn

本日の仙台、台風も明けて晴天です。

姪っ子に借りた嵐のライブDVD

「untitled」(アンタイトル)昨日から観ており先ほど観終わりました。

嵐、やっぱりいいですね。

2017年の年末に姪っ子と姉と3人で東京ドームで、

同じliveに行っているので再現されて感動。

仲の良い5人の雰囲気が、

倍のエネルギーになってこちらにも伝わってきて元気になります。

DVDの最後の挨拶で松本潤さんが、「『untitled』は『無題』という意味です。

それぞれ皆さんがこのライブで感じたものを

タイトルに入れて完成させて下さい」と言う内容のお話をされてました。

素敵です !(^^)!

 

今日はサイトの名前「unlearn」(アンラーン)にまつわる話をします。

意味は「学びほぐす」

この言葉は、大好きな作家・小出遥子さんの著書『青虫は一度溶けて蝶になる』で知りました。

私が歩んできた道を一言で表現された言葉だと感じました。

p11の本文の中で、藤田一照さんが

『unlearnは「知識を捨て去る、学んだことを意識的に忘れる、知識・先入観・習慣などを手放す」といった意味になります。

unlearnを「学びほぐす」というふうに訳した人もいます。

哲学者の鶴見俊輔さんの名訳です。学生時代、アメリカでヘレン・ケラーにあった時、鶴見さんは「私は大学でたくさんのことを学んだが、そのあとたくさん、学びほぐさなければならなかった」という彼女の言葉を聞き、「アンラーンということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された」

(『鶴見俊輔語録1 定義集』)と感じたそうです。』

詳しいことは、『青虫は一度溶けて蝶になる』をぜひ読んでください。

おすすめ良書です。

 

私が セッションで紐解いてきたものは主に思考の解体でした。

私たちは生まれて、成長しながら家族のルールや価値観を身につけていきます。

それが段々広がっていき地域、学校、社会、職場、日本、世界へと。

誰かのルールや価値観がいつの間にか、私の思考の一部に。

それらを信じて日常を生きていきます。

生きていれば、何かしらのルールや価値観は必要なのでそれらがあること自体に問題は生じません。

問題になる時は、怖れが潜んでいるときです。

 

私はいつの間にか、よりよく自分を存続させるために、

「こうあるべき・こうあらねばならない」

と言う窮屈な思考に縛られていました。

 

勉強できなければならない。

健康でいなければならない。

人に親切にしなければならない。

人に迷惑をかけてはいけない。

等々

小さなことから大きなことまで、たくさんあります。

これらを守ろう・維持しなければ

認められないんだと潜在意識では恐れていたのです。

それが出来ないとダメな私。ダメな人間。

存在価値がなくなると自分を評価していました。

それは厳しかったです。

 

でも、その思い込みは本当にそうなの?

と、セッションを通じてよくよく見つめていったら違ったんです。

大事に守っていたものは、どちらの選択でもよくて

「私が選べるんだ」「選んでいいんだ」ということに気が付きました。

また、私は存在するだけで価値があったことも思い出せました。

その思い込みがなかったら、

とっても楽だよ~ってセッションで体感しました。

これからも、自分と対話を深めてunlearnしていきます。

あなたもご一緒にunlearnいかがですか?

 

今後も、学んだ事や気づいたこと紹介していきたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございます。

では、また~