こんにちは~

HPにご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は自分が元気な時は忘れていて、気にもしないのだけれど
「いのち」に関わる重要な出来事が起きた時に
現れてくる気持ちについて少しかいてみます。

前回の記事にも書きましたが、時代の流れや、
社会的な影響を受けて私たちは生きています。
昔は今よりはるかに強い集合意識が刻まれていたと思います。
戦争があった時代などは、自分の意思を抑えて集団の中で生きていたのではないでしょうか。

それに加えて自然災害で人が亡くなったり、被災したり、
事故だったり、いのちにかかわる病気になったり、

その出来事の前で人は、起こったことを受け入れ
「あきらめるしかない」のかもしれません。
運命や天命を受け入れるということになるかもしれません。


セルフワークやセッションでも、
感情を癒しても最終的に残る言いようのない感覚。
「そうするしかなかった」という無念さ。
ここを納得するのに、結構時間がかかります。

人が太刀打ち出来ない神の領域。

生命の全体の流れを眺めることは、
自我には理解し難いもの。


自分の存在をちっぽけに感じさせるのに、
全体からみたときに「愛」というやさしさや、
あたたかさで私を救ってもくれる。

この感覚に身を任せた時、余分なチカラが抜ける。

守られていると感じることも確か


だから、泣いても、怒っても、苦しんでも、
悲しんでも、嫉妬しても、笑っててもいいんだと思える。

安心して生きていいことを教えてくれる。
大丈夫。
これが魔法のことばになる。



元々わたしたちは、喜びで生きている存在。
すべてを受け入れ、身をゆだねて生きるしかないんだ。
「いのち」の前に、いつも気づかされる。
だから、泣くだけ泣いたら前に進みたい。

すべての現象を愛しめる「私」でありたい。