めっきり寒い仙台です。
そろそろ、タイヤ交換の予約が必要ですね。

オール電化のマンションに住んで12年くらいたちます。
火のない生活をして12年ともいえます。
何かあったときのために「石油ストーブ」は持っていますが、
ほぼ使うことはありません。
お料理もIHなので、日常生活の中で火をみることは減ってきています。

ちょっと寂しいですね。

20代の頃、キャンプした時期もありましたが
面倒くさいが先にたって今はやっておりません。

そんな生活環境のせいか、時々「炎」をみたくなります。

昨日は山形へ出かけてきましたが、道中稲刈りの終わった田んぼで藁を焼く作業をされている方をみかけました。
煙の方がすごいですがあの藁の燃える匂いも、懐かしさを漂わせる匂いで好きです。

火をみたくなるのは私だけじゃないんだなと思ったのは、
YouTubeなどでキャンプしながら焚火を眺めるシーンに人気があると聞いたこと。
自然に囲まれて、心が落ち着くのわかります。

どうして火に対する思い入れがあるのかなと振り返ると小学生のころ、
今のように蛇口を捻ればお湯が出るお風呂ではなく、
薪でお風呂のお湯を焚いていました。
お風呂に水をはって、焚口に薪をくべて燃やしていたんです。
あの頃、不便でしたよ。
本当に今は便利な世の中になったんですね。

若い方には江戸時代の五右衛門風呂のような、
遠い昔を思い浮かべられそうです。
『北の国から』でもそんなシーンがあったような。

当時、お風呂を焚くのが子どもたちのお手伝い項目の一つでした。
上手に火をつけられないと、炎が大きく薪に燃えうつらなくて格闘しました。
寒い時期などは、湿気で火が太い薪に燃え移りません。

観ていたテレビを途中で止めて(録画機能などなかったです)
我慢して、時には文句を言いながらやっていました。
やりたくないと、尚更火が付くまで時間がかかりイライラ。
季節や気温・薪の湿り具合など、考慮してやる作業だったんですね。

沸かしたお湯に保温機能はありませんから、お湯が熱くなったら次ぎ次ぎに交代で入らないと冷めてしまいます。
うちは5人家族だったので最初の人から最後の人までは時間がかかります。
途中お湯が冷めたり、間が空いちゃうとまた寒い場所にあるカマドで火をつけます。
特に寒い季節は、身体も寒いのにそれをやるのが大変でした。
溜まった灰を掻きだしたりもしたな。

その当時嫌々ながらにも、燃えている炎をみて心が落ち着く自分がいたことが思い出されます。
火のパワーというか魅力って何かありますよね。
パチパチと音をたてて、燃える炎をみていると安心感があったような。
炎の暖かさにもほっとしますしね。

一応述べておきますが、火事はこの概念に該当しませんので。
燃えすぎると凶器に変容しますね。

こんな経験があるので今でも温泉に行くと、
温かいお湯が流れてくるのはすごいと思います。
どなたかが温度調整もされて手間がかけられているとは思いますが、
自然の恵みはありがたいですね。

ちなみに、夫の実家はガス風呂だったらしく近くに住むおばあちゃんちが薪のお風呂だったそうです。おばあちゃんちのお風呂焚きは楽しかったそうです。

私も、楽しんでやれば違っただろうなと思います。
同じことをするにも「やらされる」のと、
「楽しんでやる」の違いの差は大きいですね。

こんな風に嫌々やってることって生活の中であります。
例えそれが嫌いなことでもやらなければならないなら、
楽しんでやった方がいいんだなと気づきますね。

セラピーで、この頃の私がでてきたこともあり
やっぱり当時のお手伝いを嫌々やっていました。

今キャンプへ行くことがあるなら、率先して火をつける担当になるでしょう。