HPにお越しいただきありがとうございます。
今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。
「仕事と遊び」
遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」
お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。
「仕事も遊びのうち」
とってもいい。
HPにお越しいただきありがとうございます。
今日は短く
ちょこっとメモ程度に備忘録として掲載いたします。
「仕事と遊び」
遊びの定義が
「目の前のことに夢中になること」なら
「仕事で遊ぶもあり」
お金をいただくから一生懸命やるというより、
とことん純粋に楽しんでやる。
それなら自分も喜ぶ。
「仕事も遊びのうち」
とってもいい。
HPにお越しいただきありがとうございます。
今日は録画しておいた
NHK・プロフェッショナル仕事の流儀
『魔性の花に魅せられて~育種家・鷲沢幸治~』さんの
放送をみての感想を述べさせていただきます。
朝のNHKの番組で小さな枠で鷲澤さんが紹介されていて、
聞いたことある訛りとロマンチックなセリフに興味を惹かれ
ました。
しかも秋田の方ということで忘れないうちに録画を予約しました。
鷲澤さんはダリアの種を育ててらっしゃいます。
数年前に山形にも規模の大きなダリア園があり訪れた際、
種類の多さとそれぞれのダリアの美しさに感動しました。
そのダリア園にも鷲澤さんのお花があったのではないでしょうか。
この鷲澤さん
「花は無くても生きていけるけど、
そこにあるだけで人を喜ばせることができるんだ。
人を喜ばせるってことはその人の人生を豊かにするんだ」
とハートに刺さることをおっしゃいます。
数々の名台詞がご自身の苦労と体験の中から言葉をついて出てきます。
技術もお花農家さんに公開しているそうで、
惜しげもなく教えてしまうところもすごいと思いました。
人生をかけて家族さえも犠牲にして懸命に取り組む姿は、
無農薬りんご農家の木村秋則さんとかぶるものがありました。
パイオニア的な方は、最初はどこでも奇人変人扱いされるんですね。
でも、かっこいいクリエーターです。
こんなにも花を愛する男には、
さぞかし家族との関係もいいのだろうと思いきや、
一緒にお仕事されている次男さんを「若い人」と呼んでいたり、
ダリアに夢中になり家にも帰らず子育ても奥様に任せっきりで、
現在奥様は認知症でそれは自分のせいなんだと
ご自身を責めている感じでした。
鷲澤さん自身の生い立ちは、1歳で養子にだされ養育してくれた家族に対して小さな頃から負い目が常にあったそうです。
ダリアに対する思いも、養育してくれたお母さんと関りがあり涙を誘います。
ダリアに注いだ愛はお母さんへの愛なのかもしれません。
鷲澤さんの家族に対する温かい思いは、ダリアを愛するように
家族にできなかったのか切なくなるところです。
心の仕組みからすると、仕方のないことかもしれません。
家族は大人になっても自分のベースになるものですからとても大切。
この基盤が出来てないと、自分が家族をもっても思うように再現できない
こともあります。
でも、それは一概には言えませんので参考意見として。
番組の中でも不器用ながらも、常に鷲澤さんには奥様や息子さんを思う
気持ちがお互いに感じられます。
番組の終わりではダリアを通じて、息子さんと
みえない愛のやりとりも深まっていました。
愛のカタチは本当に様々ですので、
あらゆる視点から温かくみつめていきたいものです。
例え、子どもの頃に満たされなかった思いや感情があったとしても
年齢に関係なくセラピーで癒すことができますので
必要であればおっしゃってくださいね。
本当に愛に溢れた素敵な番組内容でした。
ダリアに対する思いも深まりました。
ありがとうございます。
再放送は2020年2月4日(火)NHKG午前0時20分~です。
見逃された方、間に合えば是非ご覧ください。
HPにお越しいただきありがとうございます。
マンションの改修工事も終わりに近づき、
ベランダ側の足場も外れ太陽の光が燦燦と降り注ぎ
気分も明るくなる午後です。
今日はテレ東の番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』
について思うことをかいてみます。
仙台では土曜の午後に放送されて毎週楽しみにしている番組です。
この番組はご存知の方も多いと思いますが、
出川さんとデレクターさん、ゲスト1名の合計3名で
目的地まで電動バイクを充電しながら旅する番組です。
出川さん始めデレクターさんの人柄、
そこに絡むゲストさんたちがとても楽しそうなんです。
一応ゴールを設けて目的地に向かうわけですが、
目的地到着をあまり重要視してない感じでそこに行くまでに
充電させてくれる方たちとのやり取りが温かくて笑えてほっこりします。
多分、出川さんの醸し出す雰囲気がそうさせるのでしょう。
今や、みんなに触られるご利益ある存在です。
数年前の嫌われっぷりは何だったのでしょう?
あの時でさえ、モテてたらしいですからね。
番組をよく見ているとお世話になった方や子どもたちに、
声掛けや心使いをされていて愛される理由がそこにもありそうです。
ここまで人気者になった彼はとても
愛されて育ったんだろうなと予想がつきます。
デブでもおじさんでも全然自分を卑下しません。
ごめんなさい。
何でも、笑いに変えちゃって愛に溢れています。
私も愛の波動を受け取っています。
この番組を観ていると、目的地に到着することよりも
そこに行くまでの人とのふれあいや自然とのふれあいが
大切なことを教えられている気がします。
人生と旅は同じように例えられますからね。
電動バイクの充電も、少しづつしながら先に進みますが
人からもらった心の充電をエネルギーに変換して旅しているようにも感じます。
私たちも、そんな風に生きているように思えます。
旅に出たくなる、番組です。
出川さん、沢山の幸せと笑いをありがとうございます。
これからも応援します。
HPにお越しいただきありがとうございます。
本日は雨模様の仙台です。
今日は前にやってみた、
セルフワークについてかいておきます。
ワークは、普段自分はどんな役割をこなしているのか?
アイデンティティやペルソナについてです。
自分にくっつけているものをみてみます。
自分に対して以前もっていたイメージは何でしょう?
人と関わるうえで、演じている役割を思い浮かべてみました。
私にはその場所や人によって、
合わせてしまうところがあります。
心のことを学ぶようになってから、
そんなことしてたんだなと気づきました。
だいぶ緩んではきましたが
職場なら、施術者は元気はつらつ健康な人。
聞かれたことに答えないといけない。
治してあげないといけない。
など今ならおかしな話だと思えますが気づくまでは、
自分の中では当たり前の考えで、がんじがらめになっていました。
他には、
妻は家のことをきちんとするとか、
頼りにされる娘でいることや
しっかり者の妹でいること、
嫁として○○でいるとか。
その役割についた、ビリーフも満載でしたね。
逆に、おなじように相手にもその役割を期待していました。
お母さんは家族の料理を作らないといけない。
片付け上手である、子どもにやさしいとか。
理想のお母さんのイメージですね。
今となっては、それは私の期待だったことに気づきます。
この役割を外していくと、相手に期待していた思いに気づいて
大概、文句が言えなくなります。
専門用語で投影が外れるというやつです。
だって、勝手にこちらが相手に対して要望をだして、
自分の満たされない気持ちを埋めて欲しかったことに気づきますから。
そんな時は、自己受容をして感情を解放していきます。
でも、みなさん知らずにやっているはずです。
今もやってる時があり
「お、やってるね」と自分の振る舞いに気づいて
「それも仕方ないよね」と流します。
そうやって私は自分自身を守っているのでしょう。
この前、あるセミナーで講師の方が
「お母さん役を外しても、夫や子どもは変わらずにあなたの傍にいてくれる。
愛の視点から接して過ごせばいいよ」という内容のお話をされました。
本当にそうですね。
役割には「○○でなければならない」とか強い意識が薄っすら入っていて
身体にもチカラが入ります。
それを外すと、なんか身体の感覚も軽くなりほっとします。
気楽でいいです。
多分、こっちが自分にとっての正解。
これもいつの間にか引き継いで、
身につけてしまったどこかの誰かの価値観。
どんなことでも赦されているのが愛。
やることも、やらないことも。
それを選択して選べばよいと思います。
本当は役割を身につけていなくても、
そこにいる存在でいいはず。
でも、人間である以上自我と隣り合わせで生きてますから、
なかなかそう上手くはいきませんが。
それも良し。
これに気が付いてから最近はあえて、
役割になりきるのもありだなと思えるようになりました。
役割をこなすことで社会と共同で生きていくのに
スムーズな時もあります。
こんな風に人生を楽しむのも面白いと思えるようになりました。
こんにちは~
HPにご訪問いただき、ありがとうございます。
今日はお知らせがあります。
猫の飼い主にとってスペシャルな
「にゃ~ にゃ~ にゃ~」の
令和2年2月22日 PM8時~
『大人になった今だからわかる、ココロのこと』と題して
「心とカラダのつながり」に興味のある方を対象に、
オンラインお茶会を開催します。
オンラインはSkypeを予定しております。
参加費は初開催、実験的な試みにつき無料とさせていただきます。
私が学んで実践してきたことを、
少しずつシェアさせていただきます。
内容は、初心者向けとなっており
初回は「自分を大切にすることで、悩みを減らそう」をテーマに
悩みの正体をみていきます。
そもそも「自分を大切にするとはどういうこと?」
「悩みってどこでおきているの?」
「悩みはなぜ起きるの?」などワークを交えてみていきます。
「悩んでいる私」を解体して
基本的なことからゆるりとお話しさせていただきますね。
今後、
自分の内側を意識し世界をみていくことで、
今まで気づかなかった対自分との関係や
周りの人との関係の変化を感じていただけたら嬉しいです。
日々の生活がトレーニングの場になります。
地味に時間はかかりますが、
自分を愛することで世界を広げましょう。
参加者の皆様にはお飲み物片手に、
温かいお気持ちでご参加くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
ご興味のある方は、HPの「お問い合わせ」もしくは
メールにてご連絡下さい。
gurinico.naomi@gmail.com
お申し込みいただいた方に、
折り返し48時間以内に、ご連絡させていただきます。
【詳細】
日時:令和2年2月22日 PM8時~9時半
参加費:無料
参加方法:Skype
参加者:3名
申し込み締め切り:2月19日
どうぞ、よろしくお願いいたします。
こんにちは~
HPにご訪問いただき、ありがとうございます。
今日は自分が元気な時は忘れていて、気にもしないのだけれど
「いのち」に関わる重要な出来事が起きた時に
現れてくる気持ちについて少しかいてみます。
前回の記事にも書きましたが、時代の流れや、
社会的な影響を受けて私たちは生きています。
昔は今よりはるかに強い集合意識が刻まれていたと思います。
戦争があった時代などは、自分の意思を抑えて集団の中で生きていたのではないでしょうか。
それに加えて自然災害で人が亡くなったり、被災したり、
事故だったり、いのちにかかわる病気になったり、
その出来事の前で人は、起こったことを受け入れ
「あきらめるしかない」のかもしれません。
運命や天命を受け入れるということになるかもしれません。
セルフワークやセッションでも、
感情を癒しても最終的に残る言いようのない感覚。
「そうするしかなかった」という無念さ。
ここを納得するのに、結構時間がかかります。
人が太刀打ち出来ない神の領域。
生命の全体の流れを眺めることは、
自我には理解し難いもの。
自分の存在をちっぽけに感じさせるのに、
全体からみたときに「愛」というやさしさや、
あたたかさで私を救ってもくれる。
この感覚に身を任せた時、余分なチカラが抜ける。
守られていると感じることも確か
だから、泣いても、怒っても、苦しんでも、
悲しんでも、嫉妬しても、笑っててもいいんだと思える。
安心して生きていいことを教えてくれる。
大丈夫。
これが魔法のことばになる。
元々わたしたちは、喜びで生きている存在。
すべてを受け入れ、身をゆだねて生きるしかないんだ。
「いのち」の前に、いつも気づかされる。
だから、泣くだけ泣いたら前に進みたい。
すべての現象を愛しめる「私」でありたい。
こんにちは~
今日の午前はプロのセラピストさんからセッションを受けました。
まだ、テーマあるの?と言われそうですがまだあります。
今もセッション前は、心がざわつきます。
何が出てくるか、わからないし心の痛み感じたくないですからね。
それでも思い込みや感情の囚われから解放され、
未知なる自分と出会うためにもセラピーを続けます。
人のことより、自分のこころが大切な今日この頃です。
今日も受けてよかったと思える
あたたかなセッションでした。
記憶が薄れないうちに記載しておきます。
今日のテーマは
「知らない男性にセッションをするのが怖い」
お知りあいの方や知ってる方の紹介ならいいのですが
実際に、面識のない知らない男性にセッションするのに怖れがありました。
セラピストさんから
「知らない男性からセッションの申し込みがきたら?」
と問いかけられイメージすると身体に強い反応がでます。
そこを入り口にセッションが始まりました。
身体の反応する感覚が「男の人はかわいそう・
弱音も吐けない・耐えるしかない・泣いてはいけない
・みじめ」など男性性の中にありそうな弱さを感じる言葉がでてきます。
その思いや感覚を受容しながら進むと、
戦争に行っている男の人たちのイメージが現れます。
その男性たちは家族を残して戦争に行かなければならない辛さだったり、
戦地に行って命令に従わなければならなかったり、
環境の悪いところで、食事も満足にとることもできずに
「国を守るため、家族を守るため」に自分の感情は押し殺して
戦わなければならない辛さみたいなものが出てきます。
この前のブログに書きましたが、私の祖父は戦争に実際行っており
帰ってくることはできたものの父が6歳の時に亡くなっております。
遺影の写真も軍服姿です。
そのエネルギーが祖父から父を通じて私に受け継がれていた
ものかもしれません。
前々から戦争に関する映画やドラマを観るたび、
やりすごしてはいけないような、何かひっかかるものがありました。
ここ数年は悲しい気持ちになるのも嫌で、
戦争映画は極力観ないようにしてました。
もちろん反応の中には、日本人としての集合意識もあると思います。
戦争で多くの人が悲しみに包まれていますからね。
「男だから」という理由で、
強制的に戦争に行かなければならなかった男の人たち。
時代の流れに、逆らうこともできず耐え忍び我慢するしかなかった人たち。
この時代は、男性は強い存在で女性の手前
弱音を吐くことも泣くこともできなかったでしょう。
実際に私の父は、「男は人前で泣いてはいけない」というようなことを昔言ってました。
父の弱音を一度も聞いたことがありません。
おじいちゃんや周りの人たちに「男たるもの、こうあるべき」という
教育を受けたのでしょう。
今の時代とは大違いですね。
出てくる思いや感情を受容していくと、
深い悲しみに言葉も失い涙も溢れます。
気持ちが行ったり来たりするものの、徐々に体感も軽やかになり
戦争に行かれた方への感謝の気持ちも湧いてきます。
でも、最後まで「かわいそう」というやり場のない気持ちが残りました。
そこも丁寧にみていきます。
『この「かわいそう」の奥にあるエネルギーも感じてみてね』とセラピストさんのやさしい声が聞こえます。
「この奥?ってなんだろう」
そう思って感じてみると、イメージの奥に
やわらかな光を感じました。
「小さな光」
でも、それは暗闇の中の灯りであたたかい。
その光に気づくと「かわいそう」と感じているエネルギーをその光で包んであげたくなりました。
そうしてあげると段々とそのエネルギーは軽くなって身体の感覚もほどけてゆきました。
最後は「ありがとう」という言葉さえ消え失せて
宇宙?なのか
宙に浮かんで軽い、何にもない感覚にくつろぐことができました。
この感覚を十分味わってセッションは終わりました。
今回のセッションでは、私の中にあった父、祖父、
日本人にある男性性の集合的な意識を癒すことができたと思います。
私の中には男性は暴力的なところもあるし、弱い面もあると捉えていて
何を考えていて、何をされるかわからない。
相手がどんな人かわからないと信用できないという恐れがありました。
今回それがゆるんで、安心感が強くなりました。
最後のテスティングでは
「男性からのセッションの申し込みがあったら、
私にできる方ならさせていただく」
という思いに変化していました。
実際のところはどうなるかわかりませんが、
セラピーを終えてエネルギーフィールドが変わったことはわかりました。
この男性性については、本当に長いこと私のテーマでしたので
徐々に女性性と統合されつつあり大きな荷物を降ろしていくような
解放感があります。
自分自身の変化に、今後も楽しみです。
お付き合いくださったセラピストさん
ありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
こんにちは~
今日は雨模様の仙台です。
連休の1月12日夫と鳴子温泉に日帰りで出かけてきた時の様子を備忘録として記載します。
鳴子温泉の帰りに、宮城県岩出山にある『感覚ミュージアム』
に十何年か振りに足を運んでみました。
前回は福島県三春町出身の芥川賞作家の玄侑宗久さんの
講演会があり伺いました。
ここに宗久さんの奥様で石田智子さんの紙縒りの作品が展示されております。
プロフィールの紹介とともに、添えられている文章が心に響きましたので
今回忘れないようリンクを貼らせていただきます。
お名前のところをクリックしてみてくださいね。
この短い文章からあらゆる感性が凝縮されていて、
さまざまな思いが心静かに刺激されます。
お寺の奥様をしながらの、
忙しい中に日々丁寧な生き方が想像できます。
日常生活の中に同じ作業をしながらも、同じではないことや。
紙がカタチを変えて私のところを通り過ぎ、
また別のものになるなどの感性が共感できます。
「私」も「集合体」も突き抜けた「全体」から眺めた気づきの意識も感じられます。
ちなみにセッションではこの「気づきの意識」を大切にしていきます。
紙縒りの作品の材料から作品に至るまでの工程や意識が、
この地球上の生物の生命が循環していることと似ているように思えます。
私もこのエネルギーの一部となって、交わり生かされいるのでしょうか。
それすら人間の思考で意味が「ある」のか「ない」のかさえ分からないですが。
わたしたちは「個」であり「全体」
「全体」の一部であり「個」で生きているという気がします。
時間さえもつながっているようにみえるけれど、
つながっていないと聞きますので、
この一瞬一瞬を楽しむ・愉しんで生きるはある意味真理なのでしょう。
私は自分の癒しが落ち着いてくると
焦る気持ちが段々と減ってきて
日々の何気ないことに発見や喜びを感じられるようになりました。
不思議で、おもしろいが目覚めてきました。
子どもに還ったのかな。
これからも、人生の楽しみに気づいて生きていきたい
そんな風に感じて帰宅しました。
『感覚ミュージアム』小さい施設ですが、
お近くに行った際はぜひお楽しみください。
みなさま、こんにちは。
昨日はわたしの甥っ子も成人式でした。
甥っ子はとても優しくて、のんびりとしたところ
ユーモアや素直さもあり、
自分の好きな世界をもっていて
いつも安らぎと希望を持たせてくれます。
彼が生まれた日、病院へ顔をみにいきました。
それが昨日のことのようにも思えるくらいなのに、
20年たったのですね。
不思議な感じがします。
姉夫婦も喜んでいました。
ここまで、無事に成長してくれてありがとう。
今後も陰ながらエールを送ります。
大好きだよ~
今日、ヤフーニュースで
成人式にピッタリの話題。
93歳現役バーテンダーの現在
『終活なんて僕には意味不明』というタイトル記事をみつけました。
よろしければ、
クリックして記事を読んでみてくださいね。
93歳バーテンダーのお人柄が伝わってきます。
「今を生きる」ってこういうことですね。
この井川さんみたいに『“今日”が大事』という
シンプルな思考いいです。
不安や恐れの入る余地がない感じがします。
若かりし頃の井川さんの体験が、そうさせたのかもしれません。
「今・いま・イマ」の連続が明日や一年後や〇〇年後。
ゆくゆく、私たちはおじいちゃんおばあちゃんになるでしょう。
先の事を悩んだり、不安になったりも人間が味わえる醍醐味なので
悪くはないです。
でも、きっと今が不安でいっぱいならば
未来も不安を抱えていきているかもしれません。
私は嫌だな~
その歳になっても不安を抱えているのは。
私たちは、究極簡単に言ってしまえば「生きて死ぬ」だけの人生。
辛い経験があればこそ「生きて死ぬだけ」なんて決して
軽々しくいえません。
そこに一生懸命、いのちをかけて生きている。
そこに人間として色々なストーリーがあります。
「私の」ストーリーの解釈次第で、
辛かったり楽しかったり変化するでしょう。
辛いストーリーほど心の奥深くには、
自分でも気づかない抑え込んだ感情があります。
そこを紐解いていくと、真実だと思い込んでいた苦しさから
解き放たれていきます。
私自身も辛かった時期、朝が来るのが嫌だったこともあったし。
夢ならいいのにとか、他の人と変わりたいとかそんな風に逃げの考えをもちました。
でも、その辛かったことが山の頂上だったみたい。
そこからセラピストさんと一緒に自分の心と対話がはじまり
山を下る方法を知り、次の道が開けていきました。
それは来た道を引き返すのではなく、
次のステージへレベルUP(笑)している感じです。
姿カタチは、歳を重ねるけれど心は逆に成長している。
乱暴なやり方?で心の世界は暴かれるのでしょうか。
どうして自分を苦しめるストーリーを作り出すのか?不思議ですよね。
自分自身を幸せにしたいはずなのに。
ここから先がある意味、
人としてのおもしろい生き方を味わえます。
知らなきゃ損です。
他人や出来事に振り回されなくなります。
振り回されたとしても、その理由を知っているから安心度が違います。
悩んでいる先に光があるのです。
知りたくありませんか?
心のしくみを知り、
抑圧している思いや感情に気づき受容していくことで
井川さんと同じような「今を生きる」思考に近づけると私は思います。
思いに煩わされない。
素敵に年を重ねていきたいな。
私もこんなこと書いてて、情けなくなるほど
自己否定まだまだあります。
そんなところも受容して自分をたくさん愛している最中です。
自分を救えるのは自分しかいない。
私の世界を創るのはわたしです。