こんにちは~

 

昨日とは一変して12月を感じる仙台の寒空です。

これから冬到来ですね。

今日は飼い猫にまつわる話をします。

先日の11月29日(日)は、ぐり(ネコ)の9回目の誕生日でした。
ぐり、誕生日おめでとう。
一緒にいてくれてありがとう。

その日、私の友だちの子どもNちゃん(小6)
が写真を加工してメッセージをくれました。
毎年、ぐりとニコの誕生日にメッセージをくれます。
Nちゃんにとって2匹は友だちなんだそうです。
幼稚園のころからうちの2匹に会いにきてくれて、
小学校1年で福島へ転校してからも毎年会いに来てくれていました。


そのNちゃんちでも、2年前にラグドールを飼いました。
毛がふわふわでブルーの目が魅力的なプリンスそのもの。
ものすごく、可愛いです。

そのNちゃんちの、猫ちゃんが土曜日朝からぐったりとして
様子がいつもと違うので病院へ連れていくとすぐにICUに入れられたそう。
獣医さんから「夜、このまま病院で一人で最期を迎える可能性も
あります」と告げられ死を覚悟したそうです。
慣れたおうちに連れて帰りたいと家族で決断し、
今のところ波はありますが食欲も回復しつつあるそうです。

ひとまず安心。

猫の突然死はたまに聞く話ですが、
このまま乗り越えて元気になってくれることを願わずにいられません。

Nちゃんにとって弟分の猫。
シャイなNちゃんが獣医さんのお話を聞いて、
大泣きしたそうです。
お母さんは、現実をどっしりと受け止めることしかできないと。
母強し。
というか、お母さん自身も悲しいけれど
娘にそう諭すしかないですものね。

そんな大変なことがあった翌日の日曜。
ぐりのためにカードを送ってくれたのです。
自分たちに起きた大変な出来事も知らせずに。
いつもそう。優しい親子です。

Nちゃんは、猫ちゃんを通じて沢山の愛情を身につけています。。
一緒に遊び笑ったり、嫌だと思ったり。
ともに色々なことを感じ合えています。
命あるもの、肉体としての限りがあるからこそ一緒にいられる愛しい時間。
私も猫との時間だけでなく、他のこともそう思えることが多くなってきました。

物質として限りある「いのち」から学ぶことは多いですね。

人が解釈する「いのちが亡くなる」とは別れであり、
どちらかというと忌み嫌うもの。
私も、まだその解釈の方が正直強いです。
死なない人はいない。
死は自然なことなのに、やっぱりまだ怖かったりします。


『いのちは』

「いのち」は死を恐れていない。
「いのち」は老いることや、別れることを恐れてはいない。

恐れているのは思考だ。
人の頭の中でおきている。
それさえも自然なこと。
わたしたちは誰かと過ごし、
愛しさを知っているから。

動物は死を恐れていない。
本能的には備わっているだろうが、
人間ほどではないはず。

思考が「死」に対する恐ろしさや怖さを足しているんだ。

限りある「いのち」だからこそ共にいられる時間を慈しみたい。



そんなこと書き留めておきます。