こんにちは~

心とカラダをゆるめるセラピスト
UNLEARNのHPにお越しいただきありがとうございます。

昨日のさとうみつろうさんのブログを読んでいて
「イデア」と「アイディア」という言葉が
気になりましたので
自分の思考整理のために書いておきます。

詳しく調べていけばまた違う解釈があると思います。

イデアをWikipediaで検索してみると

語源[編集]

「イデア」という言葉は「見る」という意味動詞「idein」に由来していて、もともとは「見られるもの」のこと、つまりものの「姿」や「形」を意味している[1]

と説明されており
下へスクロールしていくと

プラトンは次のように説明する。

我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる[5]


とありました。
なるほど。
おもしろいお話です。

ちょっと違う話ですが、
インテグレイテッド心理学の中で
個の私が本質のわたしではないという話を初めて聞いたとき
びっくりしたことを思い出します。

表現がそれぞれ違いますがノンジュアリティや仏教でも
「気づいている意識が本質のわたし」であると言われています。

興味のある方は、グーグル先生でお調べ下さいね。


よくアイデアという言葉は耳にしますが、
イデアにアイ = I を足したものがアイデア
そもそもアイディアはインスピレーション。
それは創造主の視点からくるものなんですね。

イデアとは大いなる創造主から個に降ってくるもの?
そう、解釈しちゃえます。

表現は色々ですが、本質のわたしたちは
創造主や宇宙、大いなる存在と
つながっているという考え。
もしかしたら、私たちはそれらそのもの。


そもそもわたしたちは個の私ではなく、
それらに気づいている方。

個の私の感情や集合的な無意識から目覚めた意識が、
本質のわたしに還ると言われます。

自分の内側をみるということは、
いくつもの思い込みがあったことに気づかされ
「こうあるべき」や「感情」がでてきます。

いつも幻想を大事に捉えて離せないでいた
私がいることを知るのです。

私だと捉えているものが、薄くなっていくと本来持っている
創造性の部分が大きく顔をだすのでしょう。


この何にもないゼロの気づきの視点があることで
世界を広くみることができます。

私は、そこがおもしろくて好きです。


本当にこの世界は未知に溢れています。


最近やっと、自分自身にさえ投影
(自分の見てきたものや聞いたことを通じ、
外の世界に写し出し捉えていること)
が走っているということが腑に落ちて。

これも投影かと思うとなんだか、おかしく思えます。

まだ、道の途中ですがこの世界は投影だらけ(笑)
鏡の世界なんですね。


先月までかなりマニアックな「だるま学校」でゆにこさんに、
集中的に投影のことや色々な視点があることを
教えていただきました。

ゆにこさんはYouTubeの配信もしているので、
ご興味あればのぞいてみてくださいね。
超マニアック(笑)


外の出来事に振り回されている私もあり。
まだまだ知らない自分もいつつ。

わたしの創造性って何だろう?とアンテナをはって
日々過ごしてみたいとおもいます。