言葉は

自分の中の思考、感情、体感を表現するとき言葉を使う。
言葉に惑わされるときもあるが、
言葉に救われるときもある。
そんな言葉が私は好きだ。

真実に近いときほど言葉は出てこない。
美しい景色をみているとき。
美味しい食べ物を口にしたとき。
言葉は二の次。

セッションでもそういう時が出てくる。
本当に言いたいことが、口にだせなかったり。
言葉を失う状況だったり。
そんな時は、その感覚をひたすら感じる。
この感覚を味わう。
受容する。
そして自然とエネルギーが変わるのがわかる。

ニコに教えられたこと⑤

やんちゃなニコ。
猫なのにエネルギーの強さを感じます。
遊んでよ~、外に行きたい。
話せないのに、それはちゃんと人間に伝わります。
自分の要望が叶うまでまとわりついてしつこいです。

人に合わせがちな私は、ついついこのエネルギーに負けます。
自分の意思を通すニコを尊敬します。
自分軸ぶれません。

ぐりやニコとの暮らしは楽しいです。
ちょっと家族気分。
ニコはどこで生まれて、どんな経緯でここへたどり着いたのかもわからないけど
一緒に暮らしている不思議。

猫を飼うようになってから、野良ネコとか気になるようになりました。
環境次第で、幸せにもなれるし片や食べることも必死の世界。
野生で生きるのがいいのかわかりませんが、
ご縁のあった者同士、出会えてよかった。
同じ生き物として一緒に過ごす時間大切にしたいです。

そして人間の都合で、
動物を虐待したりむやみに殺したりする世界はなくなってほしい。
自分より弱いものを虐待してしまう側に、
誰かに同じことをされたのか心の歪みを感じます。
その人たちには愛が不足しているんだろうなと思います。
愛情で満たされていたら、そんな行為はしないはず。
何が自然の調和なのか個のレベルではわからないけど、
人間は自然や他の生き物の調和に役立つような存在でありたいです。

 

ニコに教えられたこと④

おしっこ問題は、ニコがおしっこしそうなものは
完全にしまうという当たり前の結論に達しました。
愛情を注いでも、ここは無理でした。
冬の寒い日も一緒に寝たいところですが、
猫たちは猫のお部屋で寝てもらうことに。
ぐりは付き合わされてかわいそうです。

ニコ観察を振り返ると、自分で気が付くまでわからないもんです。
そして猫は頭が悪いとか言って。
猫を理解していないのは私でした。
恥ずかしいです。

自分を知る、観察するのはこれと同じことが言えるのではないでしょうか。
これは人に備わっている単なる習性なのか、
自分独自の反応なのか。
気づくことでイライラが減ります。
猫同様、相手は変えられませんからね。

ニコに教えられたこと③

ニコを観察しながら、意識したことは
「かわいい、かわいい子だね」と愛情を沢山注ぐこと。
そしたら効果抜群。
なにかニコが変わってきたのです。
気持ちが安定してきたように見えました。
今、思い返すと私の発するエネルギーが変わったから、
ニコに変化がでたんですね。
知らないところにきて、ニコの不安も大きかったのでしょう

動物も愛情で、変わるんだなと教えてもらいました。

同じ空間に無防備に寝ている猫たちをみていると
心がやすらぎます。
赤ちゃんと同じ効果。
これぞ同期同調、猫セラピー。
猫の抱っこはオキシトシンが発生します。
猫を飼うと長生きすると聞きますが、本当ではないでしょうか。

 

ニコに教えられたこと②

ニコ観察をしていくうちに、彼の要望が段々と分かるようになりました。
「お腹すいたよ、遊んでよ、トイレだよ、
構ってくれないとこうするぞ」など。
気を引く作戦にたけています。

ニコは限られた環境の中で、自分の意思表示をしていることに気づかされました。
おしっこ問題でキャットシッターさんに言われたことが
「おしっこしても怒こらないで下さい。人間の反応は自分を構ってくれていると思っています。無私して淡々と洗濯して下さい」と。
えーって思いました。
だってすごく怒った。怒ったからって止めないんだけど。
恐怖から止めそうなのに。止めない。
まぁ、ケロっとしてます。
布団の上でのおしっこは気持ちがいいのだろうとネットには書いてありました。
猫には猫の習性があるんだと意識させられました。
「人間の解釈は猫には通じない」と教えられました。

でも一方で、言葉を超えたコミュニケーションもありますよね。
このセラピー能力はすごいです。

続く

ニコに教えられたこと①

今日はニコのお話です。
2番目に家に来た、キジトラのオス猫。
8月25日に来たので名前をニコ。
ぐり一人でお留守番もかわいそうだからと、お友達に迎え入れました。
家にきて5年経ちますが今だ元気なやんちゃ坊主。

里親の譲渡会で出会いました。
一匹でウロウロしていたところを保護されたそうです。
生後推定4か月、キツネみたいに痩せていて
人懐っこそうなこの子に決定。

家に来てからが、まぁ大変でした。
トイレでないところで粗相する、鳴いてばかりいる。
あれ、猫ってこんなに手がかかるの?の連続でした。

一番困ったのがトイレ。
柔らかいものの上でおしっこをしちゃうのです。
猫のおしっこの臭いは強烈です。
洗ってまで残したいものなのか判断して不要なものはゴミ箱へ。
断捨離がすすみます。
羽毛布団の上は何度も何度もされました。
羽の匂いなのか、柔らかさなのか。
寝る前の夜の洗濯は泣きです。
原因をネット検索したり、動物病院の先生に聞いたり、
キャットシッターの方に生活環境に問題があるのか
自宅をみてもらいました。

ぐりは何て手のかからない子だったのか。

それからです、ニコをよく観察するようになったのは。
自己観察ならぬ、ニコ観察です。
どんな時に鳴くのか、おしっこの時のしぐさとか。
犬と違って教育も出来ない猫。
こちらが変わるしか方法はなさそうでした。

続く

子どもは授かりもの

不妊治療をしていた時期が13年ほどあります。
結婚して、そろそろ子どもが欲しいと思っていたら妊娠。
早速病院へ行ってみると妊娠反応はでるものの、
胎児らしきものが子宮にうつりません。
明らかにおかしいのです。
しばらく様子をみて、子宮外妊娠とわかりました。
子宮に着床するはずの受精卵が卵管に着床してしまったのです。
そこで成長することはなく、初めての妊娠は
肉体的な苦痛と精神的な悲しみを伴う結果となりました。

初めての産婦人科の印象は冷たい診察台に、ベテラン男性医師の診察。
怖かったな全てが。

あの時の私に
「よく頑張ったね。一人で怖かったね、不安だったね」と声をかけたいと思います。

やっきになった不妊治療、今みたいに心理セラピーがあることも知らず
うまくいかない焦りと、不安を抱えてました。
潮時のタイミングはいつなのか、悩んだ日々。
今ならやみくもに治療をする前に、自分の心を先にみるでしょう。

自分がセッションを受けるようになってから、その思いを癒すこともありました。
ある日セッションで「誰が子どもを授けるの?」という質問がありました。
私の答えは「神様」
呼び方は何でもよいのですが神、宇宙、大いなる意識。
バイロン・ケイティでいえば「神の領域」
「自分の領域」ではないのです。

子どもは授かりもの。
精子と卵子が受精して順調に受精卵になったとしてもそれが着床して、
お母さんから産まれるまですごいことなのです。
材料が揃っていても、料理みたいに出来上がらないのです。

親友が、「子どももご縁だからね」といった時
私の中で何かが弾けました。
「あっそうだ。縁は無理につくるものでなく、自然とやってくるものだった」と。

この経験から「いのち」の不思議さと、みえないチカラに身をゆだねて生きていくということを受け入れたような気がします。

自分が在ること、ご縁があることに感謝。

 

家族の意識

お墓参りの時期ですね。
それにちなんで、家族から受け継ぐ意識についてお話します。

私を認識できるものとして思考、感情、体感があります。
セッションでは苦しみを感じている私をみていくわけですが、
そこには大抵、家族の観念が徐々にでてきます。
「こうあるべき・こうしなければならない」などの家族のなかのルール。
養育段階で赤ちゃんはその家族の教えに導かれ育ちます。
大抵ご先祖様から受け継ぎ、おじいちゃん、おばあちゃん、両親から私へと。
家族の教え=観念や信念。
見える部分では顔や骨格、声、話し方などを受け継ぐように見えない部分も受け継ぎます。

その信念が自分に合うとは限りません。
当然合わないものもでてきて、そう出来ない自分を責めたり苦しみを生む元になったりします。
この信念、結構根強いです。
セッションではそんなところも、でてきます。
ちゃんとその思いをきいて、感情を受容し癒すことでその思いの呪縛から解き放たれます。

その思いを癒すことは、ご先祖様の思いも成仏させることに似ているのかなと感じることがあります。

宇宙の広さを感じてきたよ

昨日は、仙台市天文台へ出掛けてきました。

天文台へ行くと、膨大な宇宙の情報に圧倒されてちっぽけな自分を感じさせられます。地球に住みながらも、宇宙のことに興味がなかった私ですが最近は知れば知るほど魅了される世界でたまりません。

「天の川銀河、太陽系、地球人の加藤直美です」とついつい調子づいて名乗りたくなります。

プラネタリウムでは震災特別番組として「星よりも、遠くへ」が上映されており、
3.11の夜、大停電の被災地を満点の星が空を照らしていたあの夜の出来事を被災した方々それぞれの思いが紹介されており、心打つものがありました。

冒頭で宮沢賢治さんの言葉が紹介されておりました。
『正しく強く生きるとは、銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである』

みえない宇宙の大いなるチカラを、個である人間の意識の中にもおいて生きていこうよと言っているように私は捉えました。
自分を見つめること、自分の視点の中に我欲に溺れない全体の視点も持ち合わせること。
宇宙と繋がっていると思うと、なされることが成されていて安心して生きていいんだという感覚に包まれます。

サイトの完成

サイトに取り掛かり始めて約1年が経ちました。
ようやく自分の考えもまとまり、
温めてきたものを少しカタチにすることができました。

ここに来るまでも、沢山の方に色々なことを教えていただきました。
実際にお会いした方、顔も知らない方もいらっしゃいます。
私と関わって下さったご縁のある皆様に感謝いたします。
学んできたことを、フィードバックして誰かのチカラになれたら嬉しいです。

今度は私が心動かされたことを、少しずつ紹介していきますね。

今後ともよろしくお願いいたします。