こんにちは~
本日は仙台、強風が吹き荒れております。
部屋の中にいても、日差しは暖かいものの風でサッシが揺れたり
ビニール袋がガサガサ激しく音をたてます。
建物の中にいる人と、外にいる人では感じ方に雲泥の差がありそうです。
今日は「比較する心」について書いてみます。
これ、誰にでもありますよね。
物を買う時も、人によって基準があり「よりいい方」を選びます。
自分と他人を比較するということもあります。
能力や才能、美貌などなど。
現在の自分 vs 過去の自分だったり。
比較することでメリット・デメリット大いにあります。
デメリットにフォーカスしているときは苦しみを伴いがちですね。
自分の中の「ない」に目が行き、私はダメ人間だとがっかりしてしまいます。
私のなかにもこのパターンが繰り返され、いつからだろうと振り返ってみると
子どもの頃から。
私には年子の姉がいます。
最近、姉の誕生日を祝ったばかり。
13カ月しか離れていません。
姉が1歳3か月のまだ小さい時、私が生まれたのです。
母は年子の娘たちの育児に大変だったろうなと想像がつきます。
1歳3か月って、歩きだし、言葉を話し始めようとしているころ。
そこに赤ちゃん。
姉だって母に甘えたかっただろうし、
生まれた私は私で甘えたかったと思います。
お母さんは大人気ですね。
私の両方のおじいちゃん・おばあちゃんはすでに亡くなっていたので
母は近くに頼る親もいませんでした。
多分、周りのご家庭もそんなのが当たり前だったと思います。
で、話を戻しますと。
姉は小さなころから私の先輩で、ライバルだった気がします。
今はそんな風には思わないし、幼少の頃の記憶もそんなにありませんが
いつも姉をお手本に真似して日々を過ごしてきたんだと思います。
姉が怒られれば、怒られないよう学習したり。
姉が褒められれば、嫉妬していたと思います。
いつも姉を基準にしていました。
姉が保育園に通いだせば、自分も行きたがり
姉の友達のうちに一緒に行ったりもしたし、
親戚の人が集まれば一緒に並んで歌わされたり。
姉がいたから、お姉ちゃんのようになりたくて、
時にはお姉ちゃんみたいになってはいけない(怒られないよう)
などと育ってきたのです。
姉を通じて、妹は色々学習しました。
比較って一見悪いことのように、捉えてきたけれど
心のこと学ぶようになって最近は
そのお陰で自分の成長があるんだなと思えます。
別な言葉で言い換えれば、その人みたいになりたいは
「憧れ」です。
こんな風になりたいな~は、
そのエッセンスをとりいれた自分はどんなだろう?みたいな
前向きな気持ちなんですよね。
捉え方次第で、世界は広がるものです。
でも比較に苦しむ気持ちがでてくることも、
それはそれでいいと思います。
そんな風に出来なくて、悲しい・悔しい。
そして本当はこうしたかったというエネルギー。
その思いをちゃんと感じて味わったなら別の一面があることも
ちゃんと味わいたいと思います。
その悲しさや、悔しさ、情けなさの中に希望の光があることを
忘れてはならないなと気づくこの頃です。
セッションでも、比較の中にあるざまざまな気持ちを
一緒にみていきたいなと思います。
私の大好きなCMがあります。
ちょっとご覧ください。
姉は美容師です。
私の髪をカットしてくれます。
クラフトペーパー作りが上手で、姉が作ったバックを持ち歩いていると
高確率で褒められます。
器用で、私とはまた違った性格の姉。
小さいころ沢山、喧嘩したけどお姉ちゃんの妹で良かったです。
いつもありがとう。