それでは前回の続きです。

2回目・11月のセッションでもまだ肌は荒れていました。

目の周辺や頬のあたりは落ち着いたものの、
口周辺の顎のところが荒れて痒さに加え、
ピリピリと痛みが伴う状況でした。

痒みより、じっとしていても痛い。
この痛さが苦痛でした。
痛みと自分が同化して、痛みを感じている私を距離をおいて
眺めることなどできません。
頭で痛みと自分が同化していることが分かっていても
「同化を外すなんて無理だよ」という自分がいます。


痛みの感覚は自分が「ある」ことを、強く意識させられます。
痛みが私の中にあるとかではなく。
痛みが私の主役みたいになってのっとられちゃったような。

改めて痛みを眺める、痛みをただ感じることは難しいなと学びました。


痛みがあるときは、それもあるがままに。
抵抗していたわけでもないのですが、
痛みが過ぎ去るのを待つ時期は辛いですね。


そんな状態でしたので、2回目のセッションも調整ワークから始まりました。
途中身体が落ち着いたので、このテーマでセラピーをするか尋ねてみると
「やりたくない・みたくない」と抵抗する声が聞こえてきました。

抵抗があるときは、無理をさせません。

その日も調整ワークのみになりました。
調整ワークは丁寧に足裏の感覚から頭まで身体に寄り添って
地に足の着いた、グラウンディングの感覚を強めます。
今、ここにある意識にフォーカスしていきます。

今回も丁寧に時間をかけて、自分に寄り添うと痛みがいつの間にか
薄まり楽になっていました。
痛みが楽になるということは心理的な作用も働いて
自律神経のサバイバル状態が過剰になっていたということです。
安心・安全の領域が広がることで身体は大丈夫感を覚えていきます。

セラピストさんから、その日も私の中で起こっていることの説明をうけ
自分への理解を深めました。
また身体に触れることで自分へのやさしいアプローチを一緒に学んでいきます。

ゆっくり、ゆったりとselfの感覚が広がりました。
本質のわたしの感覚です。
この感覚はとても大切なものです。
瞑想もこの感覚になるために行うのではないでしょうか。

でも、本当は日常でも常に傍にある感覚です。


この感覚が多いほど、自然体の私でいられるのです。
そのことを忘れてしまう私はどうなったか。


ラスト、4回目は次に続きます。