心とカラダをゆるめるセラピスト
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今日は9年前、東日本大震災があった日です。

報道番組も震災当日やその後のことを追った番組が見られます。

一緒に住んでいたご家族の方を亡くされた方の様子などを目にしますと、
かける言葉がないです。
残されたものは、ここに来るまでさぞかし辛かったでしょう。
取材された方は、亡くなった家族のことを思いながらも
前に向かっていてその姿に心打たれました。

生きるって過酷なこともあるけれど、
その中で前進していくしかないこと、
それを乗り越えていけるチカラをみせていただきました。

その方たちの、笑顔が素敵でした。
陰ながらエールを送りたくなります。


「いのち」あってこその私たち。
「いのち」を生きるとはどういうことなのか、
この震災を通じても問いかけられたように感じます。

私の答えとしては目の前のことを通じて、
身体で心で感じていることを大切に
自分から目を背けずに生命を謳歌したいと思います。



私はあの日、職場に向かう前で大変な思いをすることなく
お蔭さまで助かりました。

その中で、これは良かったという話を一つさせてください。

それは、お風呂の残り湯です。

知っている方も多いかもしれませんね。

風水的には浴槽に水をためておくのはよくないと聞いたことがあります。
でも、宮城県沖地震を経験している人たちは
地震がきたら水が出るうちに、ためること。
もしくは残り湯を捨てないでおくことを教えてくれていました。
その、教えが私を大変な目に合わずにすませてくれたのです。
お風呂の残り湯は大活躍。

私の住んでるマンションはオール電化のために
電気が復旧しないとポンプで水を汲み上げることも出来ません。
そのため、電気と水道が同時に使えず一週間~10日。
今日出るかな?と首を長く待ちました。
電気も大変ですが、水の方がきつかったです。

福島の私の両親と弟家族が原発で避難していたため
大勢の家族で過ごしても何とか助かりました。

残り湯のお蔭で、トイレを流すことができたのです。


一軒家の方ならともかく、マンションの上階は水を運ぶのも一苦労。

数日間食べないことも辛いですが、
出すこと。
排泄は生きるのに必要なこと。
出ない、出せないことは本当にストレスです。

感情もそれと同じく。
表現する必要があります。

水を運ばなくともトイレができたことは、
大変助かりました。

震災で一番大変だったことの報告です。
皆さんも頭の片隅に入れててくださいね。

自分で判断し、備えることは大切ですね。

あの日のあの時間が近づくと、
大して被害にあっていない私でもざわざわします。

トントンしながら、この感覚に寄り添ってエネルギー
を感じてあげたいと思います。


生きてることに感謝。
みんなで命を循環していることに心落ち着けたいです。